雲洞庵

新潟県南魚沼市、金城山の麓にある曹洞宗の名刹が雲洞庵(うんとうあん)。もとは養老元年(717年)に藤原北家により開かれた律宗の尼寺が起源と伝わる古刹です。その後衰退したが、永享元年(1429年)、関東管領・上杉憲実(うえすぎのりざね)を開基として、禅寺となりました。「雲洞庵の土踏んだか」は、往時に流布した有名な言葉。

「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌なめたか」

雲洞庵
雲洞庵

樹齢300年といわれる杉木立のなかに2つの門があり、本堂に向かって正面に建つのが、別名「赤門」と呼ばれる山門。
かつては身分の高い人々しか使用することが許されなかった門です。
この赤門から法華経を一字一字刻んで埋めたという石畳が続き(冬季は閉鎖され、通用参道を利用)、禅寺らしい凛とした雰囲気があります。
古来、「雲洞庵の土踏んだか、関興寺(かんこうじ)の味噌なめたか」といわれるほど、この参道を踏みしめて参詣するご利益「罪業消滅・万福多幸」は有名でした。
関興寺は、同じ南魚沼市にある最上山関興寺(臨済宗円覚寺派の寺)のこと。
御館の乱(おたてのらん)の際に、味噌が上杉氏寄進の大般若経600巻を守ったことで有名で、「雲洞庵の土踏んだか」と「関興寺の味噌なめたか」は、江戸時代のパワースポット2つを喧伝(けんでん)する名文句だったのです(関興寺では現在も味噌を分けてもらえます)。

上杉景勝と直江兼続が学んだという名刹

雲洞庵
雲洞庵

創建当時は関東管領の所領でもあり、上杉謙信・景勝の時代にも庇護を受け繁栄、末寺27ヶ寺を有する越後有数の大寺院となりました。
上杉憲実自体も、文安4年(1447年)に政治から退くと、雲洞庵に隠棲しています。

戦国時代には北高全祝(ほっこうぜんしゅく)が住職となっていますが、武田信玄の招きで佐久・龍雲寺の住持になっています。
第13世住職の通天存達は、坂戸城主・長尾政景(ながおまさかげ)の兄で、上杉景勝の叔父。
上杉景勝、その家臣でNHK大河ドラマ『天地人』の主人公・直江兼続(なおえかねつぐ)も幼少期(上杉景勝が10歳、直江兼続が5歳の時)に、雲洞庵で教育を受けています。

戦国時代の末から江戸時代には、上杉家の米沢への国替えに随伴せず、当地にとどまったため衰退期もあったとか。

現存する本堂(本尊は釈迦牟尼仏)は宝永4年(1707年)、出雲崎の大工の棟梁・小黒甚内によって再建されたもので、新潟県の文化財に指定されています。

隣接する宝物殿には、越後最大の涅槃図、上杉景勝の書簡や直江兼続直筆の禁札(模写)、上杉憲実の使った茶釜も展示されているほか、武田信玄、武田勝頼からの書状なども展示されています。

雲洞庵 DATA

名称 雲洞庵/うんとうあん
所在地 新潟県南魚沼市雲洞660
関連HP 雲洞庵公式ホームページ
電車・バスで JR飯山線塩沢駅、または、六日町駅からタクシーで10分
ドライブで 関越自動車道六日町ICから約7.6km。または、塩沢石打ICから約8.6km
駐車場 40台/無料
問い合わせ TEL:025-782-0520/FAX:025-782-4921
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

関興寺

2018.04.16
 

 

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