円覚寺

円覚寺

鎌倉幕府第8代執権で元寇(げんこう)を二度にわたって退けた北条時宗(ほうじょうときむね)の招聘で南宋より来日した臨済僧、無学祖元(むがくそげん)が弘安5年(1282年)に開山した鎌倉の名刹が円覚寺。元寇で犠牲となった兵士の霊を弔うために建立され、後に鎌倉幕府の祈願所、北条家の菩提所となりました。

おもな堂宇が一直線に並ぶ伽藍配置

円覚寺
北条時宗廟所もある円覚寺の入口
円覚寺
石段を上るとまずは巨大な総門が
円覚寺
三解脱(空・無相・無願)を象徴する三門
円覚寺
本尊が祀られる仏殿は昭和39年の再建

弘安4年(1281年)、無学祖元は、元軍の再来を1ヶ月前に予知し、時宗に「莫煩悩」(煩い悩むなかれ)と書を与えています。
その翌年、創建されたのが円覚寺です。

鎌倉五山第二位で臨済宗円覚寺派本山。
境内は白鷺池(びゃくろち)、総門、三門、仏殿、法堂跡、唐門、大方丈が一列に並んでいます。
これは建長寺などと同じ禅宗様式の伽藍配列(がらんはいれつ)。

白鷺池と総門の間の境内を横須賀線の線路が縦断していますが、横須賀が軍港として開港するときに大船から明治22年6月16日開通の横須賀線を軍事優先で通した名残りです。
円覚寺開山の無学祖元(仏光国師)が白鷺に姿を変えた鶴岡八幡宮の神霊に導かれた場所が白鷺池と伝えられていますが、その神聖な場所も、線路敷設の埋め立てで、大きく変容しています。

創建以降も応安7年(1374年)の大火、大永6年(1526年)の里見義豊の兵火、永禄6年(1563年)の大火、元禄16年(1703年)の元禄地震(三浦半島突端が1.7m隆起)と度重なる火災、地震で往時の堂宇は残されていません。

国宝の舎利殿、鐘楼、そして北条時宗の廟所も

円覚寺
方丈と方丈庭園の妙香池
円覚寺
関東で最も大きい洪鐘は国宝

現存する建物は、天明3年(1783年)頃に再建された三門、室町前期の建築で寺に残る最古の建物である舎利殿(神奈川県唯一の国宝建築)、北条時宗の廟所のある塔頭(たっちゅう)のひとつ、佛日庵(ぶつにちあん)などです。
佛日庵の茶室では抹茶と落雁を味わえます。

鎌倉幕府9代執権の北条貞時が寄進した梵鐘(国宝)がかかる鐘楼近くには東慶寺方面を一望にする展望地もあるのでお見逃しなく。
また墓地には映画監督小津安二郎の墓もあり、今でも映画関係者の参詣があります。
ちなみに墓には「無」と刻まれています。

1月1日〜8日・10月1日〜5日を除く毎朝5:30〜6:30(11月〜3月は6:00〜7:00)に座禅会、毎月第2・第4日曜日の9:00〜11:00には日曜説教座禅会も執り行なわれています。
いずれも予約不要で無料。
かつて夏目漱石や島崎藤村もここに参禅した歴史ある坐禅会です。

円覚寺
北条時宗の廟所のある佛日庵
円覚寺
塔頭、正続院の唐門と舎利殿(国宝)

『新編鎌倉志』に見る 円覚寺

円覚寺

貞享2年(1685年)に刊行された江戸時代の地誌『新編鎌倉志』に描かれた円覚寺の境内。
明治の廃仏毀釈の荒波を切り抜け、多くの塔頭が現存しています。
三門は天明5年(1785年)再建なので、『新編鎌倉志』の記された時代には三門跡となっています。

円覚寺
名称 円覚寺/えんがくじ
Enkakuji Temple
所在地 神奈川県鎌倉市山ノ内409
関連HP 円覚寺公式ホームページ
電車・バスで JR北鎌倉駅から徒歩10分
ドライブで 横浜横須賀道路朝比奈ICから約7.7km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 円覚寺 TEL:0467-22-0478
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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