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『新潟ブルース』歌碑

『新潟ブルース』歌碑

新潟県新潟市中央区、新潟市のシンボル、萬代橋の西詰、国道7号沿い、「ホテルオークラ新潟」の向かい側に立つのが、『新潟ブルース』歌碑。『柳ヶ瀬ブルース』(昭和41年4月1日発売)に続く、美川憲一のご当地ソング2曲目として、昭和42年8月10日に発売された曲です。

美川憲一と黒沢明とロス・プリモスとの競作

古賀政男の指導を受け、昭和40年、青春歌謡『だけどだけどだけど』でデビューした美川憲一ですが、日本クラウンのディレクター・長田幸治は、ムード歌謡的な楽曲のほうが美川には向いていると判断し、昭和40年8月、渋る美川に『柳ヶ瀬ブルース』を歌わせてヒット。
翌年、『新潟ブルース』、さらに昭和43年7月1日には11枚目のシングル『釧路の夜』と、ご当地ソングを3年連続でリリースし、『釧路の夜』で紅白初出場を果たしています。

美川憲一の7枚目のシングルとなる『新潟ブルース』は、作詞・山岸一二三、作曲・山岸英樹で、『柳ヶ瀬ブルース』、『釧路の夜』の宇佐英雄(作詞・作曲)とは異なります。
しかもシングル盤はA面『新潟ブルース』、B面『信濃川慕情』ですが、黒沢明とロス・プリモスとの競作で、ロスプリモス盤ではA面は信濃川慕情、B面が『新潟ブルース』という構成。
美川憲一版がA面のため、一般的には美川憲一の楽曲として知られていますが、実際は競作だったのです。

新潟駅、萬代橋、古町通など新潟の情景が歌詞に組み込まれているのは、作詞の山岸一二三と作曲の山岸英樹は地元・新潟出身の兄弟だから。

新潟市政100周年を記念して建立された『新潟ブルース』歌碑には、作詞・作曲者とともに、美川憲一、黒沢明とロス・プリモス両者の名前が刻まれています。

情景たっぷりの歌詞ということもあって、森雄二とサザンクロス、里見浩太朗、鳥羽一郎、瀬川瑛子、八代亜紀、純烈ら、多くの歌手にカバーされるご当地ソングです。

画像協力/(公財)新潟観光コンベンション協会

『新潟ブルース』歌碑
名称 『新潟ブルース』歌碑/『にいがたぶるーす』かひ
所在地 新潟県新潟市中央区下大川前通
電車・バスで JR新潟駅から徒歩20分
ドライブで 磐越自動車道新潟中央ICから約7km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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