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秩父往還・贄川宿が「かかしの里」に!

贄川宿が「かかしの里」

秩父往還の宿場町で、三峯山(三峯神社)参詣の起点となる一乃鳥居も置かれた贄川宿(にえかわじゅく/埼玉県秩父市)国道140号はバイパス化していて宿場町を避けて通るため、旧街道は昔町として残されていますが、町起こしで「かかしの里」に変身。関東地方では唯一の「かかしの里」となっています。

ナウマンも宮沢賢治も泊まった宿場町をかかしで「町起こし」

あまり知られていない秩父往還・贄川宿ですが、秩父鉄道の起点駅でSLパレオエクスプレスの蒸気機関車が方向転換する「SL転車台公園」のある三峰口駅の近く、荒川の対岸にあります。
秩父鉄道が荒川南岸を走るのに対し、秩父往還と国道140号は荒川の北岸を通り、鉄道開通前は、こちらが三峰山への玄関口でした。
三峰口駅からは白川橋で荒川を渡って贄川宿へと入ります。

贄川宿は、甲州(山梨県)、上州(群馬県)、信州(長野県)への分岐点にもあたり、商人の往来も多かったことから江戸時代初期から商人宿が建ち並んで宿場町として発展、最盛期には20軒以上の旅籠(はたご)が軒を連ねていました。
三峰山参詣の駕籠(かご)もここが起点で、参拝者でも賑わったのです。

昭和5年3月15日に秩父鉄道・三峰口駅が開業しますが、その頃から廃れ始め、国道もバイパスとなったため、今ではレトロな昔町として残されています。

かつての賑わいを少しでも取り戻そうと、贄川宿の人が平成28年春から始めたのが「かかしの里」づくり。
贄川宿内の街並みの中の至る所に、手作りのかかしが60体以上設置され、訪れた人たちを楽しませています。
御岳山登山口の近くの「かかし広場」は、武甲山、荒川を眺めるビュースポットで、多くのかかしが並んでいます。
明治11年、地質調査の際に贄川宿に泊まった「日本地質学の父」・ナウマン博士は、「スイスの景色を目前にするようだ」と眺望を絶賛、明治31年には文豪・幸田露伴もここを訪れ、大正5年に地質調査に訪れた宮沢賢治もここからの眺望を楽しんだと伝えられています。

幸田露伴は、明治31年の三峯神社参詣を記した『知々夫紀行』のなかで、「贄川は後に山を負い前に川を控えたる寂びたる村なれど、家数もやや多くて、蚕(かいこ)の糸ひく車の音の路行く我らを送り迎えするなど、住まば住み心よかるべく思わるるところなり。昼食(ひるげ)しながらさまざまの事を問うに、去年(こぞ)の冬は近き山にて熊を獲(と)りたりと聞き、寒月子と顔見合わせて驚き、木曾路の贄川、ここの贄川、いずれ劣らぬ山里かな、思えば思い做なしにや景色まで似たるところありなどと語らう」と記されています。

かかしの里は、全国的には徳島県・祖谷渓の名頃地区が『天空の村・かかしの里』として訪日外国人観光客も訪れる観光名所になっています。

秩父往還・贄川宿が「かかしの里」に!
開催日時 三峰口駅、天空の村・かかしの里と相互リンクをお願いします
所在地 埼玉県秩父市荒川贄川
場所 贄川宿
電車・バスで 秩父鉄道三峰口駅から徒歩15分
駐車場 かかし駐車場(無料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

三峰口駅

埼玉県秩父市にある秩父鉄道の終点駅が三峰口駅(みつみねぐちえき)。埼玉県最西端の駅で、その名の通り三峯神社の玄関駅となっています。開業当初は、旧大滝村の三峰地区への延伸が予定されていましたが、着工に至らず、計画も昭和11年に消滅しています。

天空の村・かかしの里

徳島県三好市東祖谷、過疎化が進む東祖谷の名頃地区の至るところに元住民を模した100体ほどのかかしが配される山奥の村が、天空の村・かかしの里。『かかし村基本台帳』も用意され、各かかしが村民登録されています。名頃地区は住民二十数名なので、かかし

 

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