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牛方宿

牛方宿

長野県小谷村(おたりむら)、新潟県糸魚川と松本を結ぶ、全長30里(約120km)の塩の道(千国街道)。かつて日本海の塩や海産物を山国信州へと運ぶ、生活物資ルートだった街道です。小谷村の沓掛地区に残る牛方宿(うしかたやど)は、荷をつけた牛を引く牛方と牛が同じ屋根の下で疲れをいやした宿です。

牛と牛方が一緒に寝泊まりした宿泊施設

千国街道には、荷物の継立と検査を行ない、口銭を徴集する継荷宿(荷宿)が12ヶ所あったとされますが、千国にあった2軒の継荷宿のうちの1軒がここ。
明治20年頃に姫川沿いに馬車道が開削され、山中を歩く千国街道は使われなくなりました。

間口5間半、奥行き8間の大きな茅葺きの民家で、冬の豪雪に耐えるようにどっしりとした造り。
内部には牛を置いた土間や、商人の寝泊まりした奥座敷などがあります。
牛方と牛が同じ屋根の下で寝泊まりしたことから牛方宿と通称されているのです。
一人前の牛方は、背に2俵(94kg/一駄)を付けた牛6頭を1人で追いました。
牛方は十数人が一団となり、八十八夜(GW頃)から小雪(しょうせつ=10月いっぱいくらい)まで、荷を運んだのです。

元治元年(1864年)の『千國又兵衛家相図』をもとに整備復元事業が行なわれ、現在では資料館として保存されています。
牛方宿の主屋は、18世紀末から19世紀初期の建築と推測され、隣接の塩倉(半地下式になっており、階下に塩を保管)とともに、旧街道に現存する唯一の建物になっています。

栂池高原〜牛方宿〜千国宿には、往時の千国街道が現存し、牛方宿から千国街道を千国宿側に少し下ったところには弘法の清水があるので、時間があれば寄り道を。

千国街道は糸魚川と松本を結ぶ30里(120km)ほどの街道で、糸魚川側では松本街道、松本では糸魚川街道と呼ばれていました。
日本海の塩を運ぶため、塩の道と呼ばれ、途中の千国宿・千国番所の名をとって千国街道と通称されています。
運ばれる塩は、糸魚川近郷の地塩のほか、能登内浦や瀬戸内海の塩も含まれていました。
上杉謙信が武田信玄に「義塩」を送ったといわれますが、史実ではありません。

牛方宿
名称 牛方宿/うしかたやど
所在地 長野県北安曇郡小谷村千国乙840
関連HP 小谷村公式ホームページ
電車・バスで JR白馬駅から松本電鉄バス栂池高原行きで23分、終点下車、徒歩15分
ドライブで 長野自動車道安曇野ICから約59km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 牛方宿 TEL:0261-71-5610
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

千国街道親坂(塩の道千国越えコース)

長野県小谷村、千国街道(塩の道)の沓掛(くつかけ)には牛方宿(うしかたやど)があり、物資の中継基地になっていましたが、その沓掛から千国宿(ちくにしゅく)へと下る坂道が親坂。千国宿側からだと白馬乗鞍岳から流れ出る親沢を渡るとすぐに急坂が始まり

前山百体観音

長野県北安曇郡小谷村、栂池高原スキー場下から牛方宿のある沓掛(くつかけ)へと向かう「塩の道」千国街道。そこにあるのが前山百体観音で、板東三十三番、西国三十三番、秩父三十四番の合計が百体なので、百体観音という名があります。失われた石仏もあって

親坂石仏群

長野県小谷村(おたりむら)、「塩の道」千国街道の難所のひとつ、千国宿から沓掛の牛方宿(うしかたやど)へと上る親坂の登り口にある石仏群が親坂石仏群。平成7年の豪雨で一部が流出してしまいましたが、往時の雰囲気を今も留める石仏群です。親坂馬頭観音

弘法の清水

長野県北安曇郡小谷村、「塩の道」千国街道の親坂(千国宿〜牛方宿)の途中にある水飲み場が弘法の清水(こうぼうのしみず)。水飲み場には2個の石舟が2段になって置かれ、低い方は牛馬用のもの。石舟の上に安山岩の弘法大師像が安置されており、「安永三年

千国番所跡・千国の庄史料館

長野県北安曇郡小谷村、千国街道(塩の道)の要衝、千国宿の千国番所跡にある史料館で、古民家を移築した千国の庄史料館、塩の流通を調整するための貯蔵庫「塩倉」、復元された千国番所、休憩施設の塩の道交流館「歩荷(ぼっか)茶屋」が整備されています。塩

 

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