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浦川橋(「稗田山崩れ」展望地)

浦川橋(「稗田山崩れ」展望地)

長野県小谷村を流れる浦川の中流に架かる橋。日本三大崩れのひとつ、明治44年8月8日に起こった稗田山の山体崩壊「稗田山崩れ」の跡地、稗田山崩落跡を一望にする絶景の地。橋の近くには園地が整備され、稗田山崩れの犠牲者の慰霊と災害を後世に語り継ぐ指標にとの思いが込もる作家・幸田文の文学碑も建立されています。

幸田文文学碑「歳月茫茫」が立つ

作家・幸田文(こうだあや=幸田露伴の娘)は、昭和52年、「稗田山崩れ」を見聞して『崩れ』という作品を残しています。
「災害の話を聞きながら歩けば感無量だった。道のべに生い茂る夏草は鮮やかに青く、まことに歳月茫茫の思いにうたれる。稗田山々、ちょうどこの真正面というので、見えないと承知しながらも目をこらせば、霧の粒が砂子になって浮動する。そんな中で鶯が近々と鳴いて、激しい川音をそらす」(幸田文『崩れ』)。
『崩れ』の一部をとり、平成4年に建立されたのが幸田文文学碑「歳月茫茫」です。

稗田山崩落以前には橋の近くを塩の道(千国街道、松本街道/糸魚川〜松本)が通っていましたが、「稗田山崩れ」の土砂で埋没しているために往時と状況が大きく異なっています。
当時の塩の道は右岸の石坂集落、左岸の高車から浦川を上流へと歩き、浦川橋あたりで川を渡っていました。
来馬地区の常法寺と来馬諏訪社は奇跡的に土石流の被害を受けずに、往時の建物が残されています。

浦川橋(「稗田山崩れ」展望地)
名称 浦川橋(「稗田山崩れ」展望地)/うらかわばし(「ひえだやまくずれ」てんぼうち)
所在地 長野県北安曇郡小谷村中小谷丙
ドライブで 北陸自動車道糸魚川ICから約31km、長野自動車道安曇野ICから約69km
駐車場 浦川橋北詰を利用
問い合わせ 小谷村観光連盟 TEL:0261-82-2233
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

稗田山崩落跡(稗田山崩れ)

白馬連峰のひとつ乗鞍岳(2456m)から派生する尾根のピークが稗田山(ひえだやま/1443m)。尾根の南側は白馬コルチナ国際スキー場、白馬乗鞍スキー場ですが、尾根の北側は「稗田山崩れ」の大崩落地。山麓から見上げると巨大な崖のように見えるのが

【歩かず眺める白馬・大町絶景BEST33】第19位は稗田山崩落跡

取材班が白馬村・小谷村・大町市・池田町・松川村を縦横無尽に調べた結果、取材班が選んだ【白馬・大町歩かず眺める絶景BEST33】を選定。第19位は小谷村の大崩落跡です。日本三大崩れのひとつ[caption id=”attachment_258

日本三大崩れとは!?

全国数ある崩落地の中から、大地震などで崩落した場所3ヶ所が日本三大崩れ。明治44年の稗田山(現・長野県小谷村)の北面で山体崩壊が起きた稗田山崩れ、宝永4年(1707年)の宝永地震による大谷嶺(現・静岡市葵区)の大谷崩、安政5年(1858年)

幸田文「歳月茫々碑」

長野県北安曇郡小谷村中小谷、平成4年に浦川にかかる浦川橋(稗田山崩落跡展望地)近く、標高630mの場所に建立された碑が、幸田文「歳月茫々碑」(こうだあやさいげつぼうぼうひ)。明治44年8月8日に突如、稗田山北側斜面が大崩壊。山麓に土石流が押

 

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