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日本聖公会・ショー記念礼拝堂

日本聖公会・ショー記念礼拝堂

長野県北佐久郡軽井沢町、かつての中山道・軽井沢宿、現在のメインストリート(旧軽銀座)を通り抜けた先、二手橋近くに建つのが、日本聖公会・ショー記念礼拝堂。避暑地として軽井沢を見出した宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー(Alexander Croft Shaw)が創設した教会です。

クロフト・ショーが建てた軽井沢最古の教会

メインストリートのはずれ、カラマツ林のなかに建つ簡素な木造の礼拝堂は、平成2年に昔の姿に復元されたもの。
礼拝堂のある敷地は、明治19年からショーが別荘として利用した古い旅籠のあった場所で、礼拝堂は訪れた人の献金と寄付で維持運営されています。

見学は自由ですが、有人の際は司祭に断ってから入館を。
信仰の場であることを、充分に配慮して見学を。

軽井沢を避暑地として世間に紹介したのが、聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー。
明治18年頃、リウマチに悩むショーは、帝国大学文科大学で夏目漱石らを教えたディクソン(James Main Dixon)とともにたまたま訪れた軽井沢に魅了されます。
軽井沢は、文明開化とともに宿場が閑散とし、ショーが宿泊した旅籠「亀屋」も休業だったのです。

明治19年夏、ディクソンと家族を伴って軽井沢を訪れます。
ディクソンは旅籠亀屋を経営していた佐藤万平所有の家を、ショー一家は宿場にあった廃業した旅籠を改装して涼しい軽井沢でひと夏を過ごしています。

蒸し暑い東京ではなく、快適な軽井沢生活の話は、居留地に住む外国人たちにとっては、まさに別天地として聞こえたでしょう。
当時の軽井沢は、こうした宣教師たちの軽井沢往来に伴い、旅籠が旅館やホテルに転じる(旅籠「鶴屋」がつるや旅館、旅籠「亀屋」が万平ホテルに)など、大きな変革期でした。

ショーは明治21年、旅籠「鶴屋」の主人・佐藤仲右衛門の斡旋で、別荘を大塚山(だいづかやま)に建て、軽井沢の最初の別荘となるのです。

礼拝堂前には、ショーの胸像も立てられており、この一帯がまさに軽井沢の近代の出発点ともいえる場所なのです。

日本聖公会・ショー記念礼拝堂
名称 日本聖公会・ショー記念礼拝堂/にほんせいこうかい・しょーきねんれいはいどう
所在地 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢57-1
関連HP 日本聖公会・ショー記念礼拝堂公式ホームページ
電車・バスで JR軽井沢駅から草軽交通バス、西武高原バス旧軽井沢方面行きで4分、旧軽井沢下車、徒歩20分
ドライブで 上信越自動車道碓氷軽井沢ICから約12km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 日本聖公会・ショー記念礼拝堂 TEL:0267-42-4740
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

ショーハウス記念館

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