室生犀星文学碑

室生犀星文学碑

長野県軽井沢町、旧軽井沢のメインストリート(かつての中山道軽井沢宿)を抜けた二手橋から旧碓氷峠方向に5分ほど歩いた、矢ヶ崎川の河畔に立つのが室生犀星文学碑(むろうさいせいぶんがくひ)。『かげろふの日記遺文』で「野間文芸賞」を受賞(昭和34年12月)した記念に、昭和35年秋、室生犀星が自らが設計し建立したもの。

碑文は詩「切なき思ひぞ知る」

室生犀星文学碑
傭人の像

室生犀星文学碑の碑文は詩「切なき思ひぞ知る」。
「我は張り詰めたる氷を愛す/斯る切なき思ひを愛す/我はその輝けるを見たり/斯る花にあらざる花を愛す/我は氷の奥にあるものに同感す/我はつねに狭小なる人生に住めり/その人生の荒涼の中に呻吟せり/さればこそ張り詰めたる氷を愛す/斯る切なる思ひを愛す/昭和三十五年十月十八日」。

碑の向かいに置かれた2体の傭人(ようじん)は、室生犀星が満州旅行の帰路、釜山(プサン)で買い求め、東京の自宅にあったものを移しています。

昭和6年に旧軽井沢に建てられ、亡くなる前年の昭和36年まで夏を過ごした別荘は、「室生犀星記念館」保存公開されています。
軽井沢の別荘で、堀辰雄、津村信夫、立原道造、川端康成、志賀直哉らとの交流がありました。

室生犀星と軽井沢

金沢に生まれた室生犀星は、大正8年に初めての本格的小説『幼年時代』を『中央公論』に掲載し作家デビューを果たします。
翌大正9年1月に『性に目覚める頃』を出版。
同年7月に軽井沢・信濃追分の「つるや」に滞在、それ以降、夏は避暑地・軽井沢で過ごすようになるのです。
その後数年は、長男・長女が誕生し、『古き毒草園』、『美しき氷河』、『星より来れるもの』、『田舎の花』、『忘春詩集』と精力的に執筆。

昭和37年に73歳で没していますが(墓は金沢市野田山墓地)、旧軽井沢に建つ文学碑はその前年に自らが建立したものです。

室生犀星
室生犀星
室生犀星文学碑
名称 室生犀星文学碑/むろうさいせいぶんがくひ
所在地 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢
関連HP 軽井沢町公式ホームページ
電車・バスで JR軽井沢駅から草軽交通バス、西武高原バス旧軽井沢方面行きで4分、旧軽井沢下車、徒歩25分
ドライブで 上信越自動車道碓氷軽井沢ICから約12kmで町営旧軽井沢駐車場、駐車場から徒歩20分
駐車場 町営旧軽井沢駐車場(412台/有料)
問い合わせ 軽井沢町観光経済課 TEL:0267-45-8579
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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