北方領土を除き、日本最北の神社は、宗谷岬の宗谷岬神社ですが、こちらは無住で、神職が常駐する神社となると、稚内市街、稚内公園の登り口に鎮座する北門神社(ほくもんじんじゃ)です。御朱印をいただけるだけでなく、オリジナルの御朱印帳もあり、まさに日本最北の朱印と御朱印帳ということに。
和人による宗谷開拓の精神的な支柱ともなった社
天明5年(1785)、宗谷場所(宗谷地方にあった松前藩の漁場)を請け負っていた飛騨屋久兵衛(武川久兵衛)の下請けだった3代目・村山伝兵衛が、浜で太陽を遥拝する人の姿を見て、航海安全、大漁の守護神として神宮大麻(伊勢神宮の大麻)を授かり、社を創建、宗谷大神宮と名付けたのが始まり。
飛騨屋久兵衛は、江戸時代中期に、飛騨国の温泉で有名な下呂(現・岐阜県下呂市)を出て蝦夷地(北海道)に渡り、4代にわたって漁場の開拓などに尽力した武川久兵衛(代々の当主は久兵衛を襲名)のこと。
元禄15年(1702年)、松前藩の福山(現・北海道松前郡松前町)に店を構え、海産物の取引と木材の江戸への輸送を開始、東は厚岸(あっけし)、北は天塩(てしお)へと森林資源を求めて商圏を拡大、日本屈指の豪商へと発展しますが、寛政3年(1791年)、商いをやめて飛騨に帰っています(宗谷場所などは村山伝兵衛の請負に)。
北門神社の前身、宗谷大神宮を創建した村山伝兵衛は、飛騨屋最後の4代目となる久兵衛の下請けでした。
村山伝兵衛は初代が能登国(石川県)の出身で、神社を創建したのは3代目。
寛政8年(1796年)、収入増をはかった松前藩の犠牲となり、居住地追放、そして財産没収という憂き目にあっています。
天明元年(1781年)には飛騨屋久兵衛、村山伝兵衛のふたりは宗谷に厳島神社を創建しており、それに続く神社創建ということに。
天明3年(1783年)に宗谷に大飢饉が起こり、宗谷アイヌで多くの餓死者も出ているので、神宮を勧請しようと考えたのかもしれません。
最北の神社だけに北海道らしい創建の歴史を秘めていますが、創建当初から漁業者などに尊崇され、和人による道北開拓の精神的な柱としても機能したのです。
現在地に社殿を移築し、北門神社となったのは、明治29年ですが、歴史的にも宗谷の鎮守社ということで、最北端を訪ねる旅人にとってはまさに必踏の地。
朱印帳もオリジナルですが、おみくじもカニがモチーフで、『えぞみくじ・いカニもいいみくじ』と、洒落たネーミングに。
えぞみくじは、全道10の神社で用意される北海道各地の特産品がモチーフになったおみくじです。
えぞみくじを授与する10社
- 湯倉神社(函館市)=イカすおみくじ/イカ
- 樽前山神社(苫小牧市)=貝運一念発起/ホッキ貝
- 住吉神社(小樽市)=日進月歩/ニシン
- 錦山天満宮(江別市)=幸路みくじ/サイロ
- 美瑛神社(美瑛町)=富諸来し/トウモロコシ
- 旭川神社(旭川市)=福よ米米みくじ/米俵
- 帯廣神社(帯広市)=魔鮭福鱒/シャケ
- 北門神社(稚内)=いカニもいいみくじ/カニ
- 北見神社(北見市)=福多招みくじ/タマネギ
- 金刀比羅神社(根室市)=福ざんまい/サンマ
日本最北の神社(神職常駐)は、稚内市の北門神社で、日本最北の御朱印帳も用意 | |
名称 | 北門神社/ほくもんじんじゃ |
所在地 | 北海道稚内市中央1-1-21 |
電車・バスで | JR稚内駅から徒歩15分 |
ドライブで | 稚内空港から約13km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 北門神社社務所 TEL:0162-22-2944 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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