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三浦按針の墓

三浦按針の墓

三浦按針(みうらあんじん)、本名ウィリアム・アダムス(William Adams)は、イングランド人航海士・水先案内人。元和2年(1616年)の徳川家康没後に、平戸(現・長崎県平戸市)のイギリス東インド会社、平戸イギリス商館の仕事に従事し、元和6年(1620年)、平戸で病死したため、平戸市の崎方公園に夫妻の墓が築かれています。

平戸でイギリス商館に務めていた時代に没した三浦按針の墓

三浦按針之墓
三浦按針夫婦塚

慶長5年(1600年)、ロッテルダムから極東を目指すオランダ船リーフデ号の航海長だったウィリアム・アダムスは、慶長5年3月16日(1600年4月29日)、豊後臼杵の黒島(現・大分県臼杵市)に漂着。
長崎奉行の寺沢広高は大坂城の豊臣秀頼に指示を仰ぎますが、五大老筆頭の徳川家康が大坂への護送を命じて、慶長5年3月30日(1600年5月12日)、家康に接見。

その後釈放されて江戸に招かれ、ついには帰国を断念して徳川家康に外交顧問として仕えることに。
三浦半島の逸見(現・横須賀市)に領地を有したことから三浦按針を名乗りました。
按針も水先案内人という意味合いです。

慶長年間に、オランダ、イギリスが通商を許され、平戸に両国の商館が設置されたのも、三浦按針の尽力があったからといわれています。
三浦按針の平戸時代は、三浦按針の仲介によって家康に謁見して貿易の許可を得た、平戸イギリス商館長リチャード・コックス(Richard Cocks)のもとで働いています。
平戸のイギリス商館は宮の町と木引田町の中間あたり、現在の幸橋東側、平戸市役所一帯にあり、三浦按針は商館ではなく、木田弥次右衛門宅(現・平戸市木引田町431)にイギリス国旗を掲げ住まいにしていました。

元和6年(1620年)、平戸で病死した三浦按針は、イギリス商館近くにあった外国人墓地に葬られたと伝えられますが、幕府の鎖国政策強化で、平戸の商館破却、長崎出島への移転の際に、商館などとともに墓地まで徹底的に破壊されたため、当時の外国人墓地の場所は定かでありません。

昭和29年、平戸イギリス商館跡近くの崎方公園(平戸市大久保町)に三浦按針(ウィリアム・アダムス)の墓を建立。
さらに昭和39年、三浦按針(ウィリアム・アダムス)の生誕400年に際し、イングランドの妻の墓地から小石を取り寄せ、三浦按針夫婦塚が建立されています。

なお、平戸市木引田町の木田弥次右衛門宅跡には「三浦按針終焉の地」の碑も立っています。
碑面には、「1620年(元和6年)5月16日居宅であった此の地(木田弥次右衛門宅)にて逝去す 当時57才」と記されています。

ちなみに、三浦按針の尽力で、オランダ商館とともにイギリス商館が平戸に存在することになったのですが、イギリス商館はオランダ商館との競争などで対日貿易が伸びず、元和9年(1623年)、平戸イギリス商館は閉鎖されています。

三浦按針の墓
名称 三浦按針の墓/みうらあんじんのはか
所在地 長崎県平戸市崎方町2529 崎方公園内
関連HP 平戸市公式ホームページ
電車・バスで JR佐世保駅前から西肥自動車バス平戸桟橋行きで1時間25分、終点下車、徒歩5分
ドライブで 西九州自動車道(武雄佐世保道路)佐世保みなとICから約36km
駐車場 平戸港交流広場駐車場(50台/2時間まで無料、以降有料)
問い合わせ 平戸市観光課 TEL:0950-22-4111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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