長崎県新上五島町、五島列島・中通島(なかどおりじま)にある有川地区は、江戸時代から「鯨のまち」として栄え、捕鯨が町発展の基礎を築いた土地。その有川地区に建つ海童神社(かいどうじんじゃ)は、ナガスクジラの顎骨(あごほね)で造られた鳥居がある社として有名です。
有川郷の捕鯨文化を今に伝える神社
『江口文書』(有川鯨組の多くの記録が記されている古文書)などによれば、神社の創建は、慶長3年(1598年)、祖母君神社奉遷の際、それを守護する応護神として有川湾の中ノ島に龍神を祀り、これに因んで島の名前を応護島(おこじま)としたことに始まります。
平成14年頃まで、応護島は有川湾の小島で、有川港ターミナルが新築(平成16年完成)される際に陸続きとなりました。
有川港ターミナルからは徒歩で2〜3分の距離なので、島に来たのならまずは、参拝を。
祭神は、応護島に祀られる神様ということからかつて「オコジマサマ」と呼ばれた、龍神(海童神)と恵比寿神。
明治初期までは海童神社の拝殿がありましたが、明治24年に祖母君神社(うばぎみじんじゃ)に合祀され(神道の国家管理が進み、経費削減という意味合いもあり、さらには一町村一神社という姿勢から、明治時代後半に神社整理が行なわれました)、さらに昭和60年、祖母君神社が天満神社、八幡神社と合祀され有川神社になったため(地域の人口の減少・高齢化などが背景にあります)、現在では有川神社の境外社のひとつになっています。
注目の鳥居の高さは4.45m。
昭和48年、東シナ海で捕獲された体長18.2mのナガスクジラの顎骨を使っています。
以前は、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居という3基の顎骨と扇の形をした「ひれ」の鳥居がありましたが、腐食によって今はこの顎骨の鳥居だけとなっています。
毎年7月第4日曜に行なわれる『十七日祭』は水難除けの祭礼で、江戸時代初期から続く伝統行事。
今も地元の人々による、「にわか芝居」や寸劇が奉納されています。
宝暦2年(1752年)6月17日に水難防止を祈願して始められた祭礼で、伝統的な「にわか芝居」の奉納は、江戸時代の半ば、江戸を中心に上方でも当時流行していた二〇加(にわか=「落ち」のついた即興の喜劇)が上五島にまで伝搬したものと推測されています。
ちなみに、海童神社は、鯨見山(くじらみやま)、鯨供養碑、、弁財天宮(めーざいてんぐう)、原眞一顕彰碑(はらしんいちけんしょうひ)などとともに「有川捕鯨関連文化遺産」として、水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選定。
海童神社に近い有川港ターミナル内には、「鯨賓館ミュージアム」(げいひんかんみゅーじあむ)もあり、有川郷の捕鯨文化を紹介しています。
海童神社 | |
名称 | 海童神社/かいどうじんじゃ |
所在地 | 長崎県南松浦郡新上五島町有川郷 |
関連HP | 新上五島町観光物産協会公式ホームページ |
電車・バスで | 有川港から徒歩3分 |
ドライブで | 有川港からすぐ |
駐車場 | 40台/無料 |
問い合わせ | 新上五島町観光商工課 TEL:0959-53-1131 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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