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大悲観公園

大悲観公園

長崎県佐世保市小佐々町にある「大悲観」という字が彫られた高さ20mの大砂岩がシンボルの公園が大悲観公園。天保年間(1831年〜1845年)に平戸藩10代藩主・松浦熈(まつらひろむ)が選んだ奇観「平戸領地方八竒勝」(ひらどりょうじかたはっきしょう=平戸八景)のひとつで、国の名勝。

平戸藩主が岩に刻ませた「大悲観」

数十万年前、一帯は海で、海の波蝕で残された海食残丘の崖で、岩の裏手には縄文時代の遺跡である大悲観岩陰遺跡があります。

平戸藩10代藩主・松浦熈は、幕命でに異国船監視の役を命じられた際にも、異国船との戦闘などを避けられるよう神仏に祈願するなど、スピリチュアルな面がありましたが、この高さ20mの砂岩の巨岩にも夢枕に立った大悲観音菩薩の託宣に従い、登頂を試みています。
あまりに危険な行為のため、家臣らに説得されて断念した代わりに、文政13年(1830年)、隷書で「大悲観」の大文字を揮毫し、それを拡大して刻ませたのです(昭和11年刊『平戸藩史考』)。
平戸街道沿いにある「平戸領地方八竒勝」(平戸八景)のうち、大悲観、潜竜ヶ滝、福石山は国の名勝に指定されています。

大悲観公園には、ソフトボール場やテニスコート、遊具広場、草スキー場などが整備され、4月には桜、5月から6月にかけてはツツジや菖蒲が開花します。

大悲観は、シーボルト事件へのメッセージ!?

佐世保市小佐々郷土館には松浦熈が記したという「大悲観」の拓本があり、それを見ると、大悲観という文字の横に、文政13年8月3日戊子(つちのえね)、肥前守従五位下源朝臣熈と刻まれていることがわかります。
戊子であるなら、文政11年(1828年)であるはずで、文政13年は、庚寅(かのえとら)、つまり寅年(とらどし)。

藩主が子年(ねずみどし)と寅年という、干支を間違えるわけもなく、文政11年といえばシーボルト事件(日本地図を国外に持ち出そうとしていたことが船の難破で発覚した事件)で、幕府天文方・書物奉行の高橋景保(たかはしかげやす)が死刑になった年。

伊能忠敬は、 文化9年(1812年)、平戸藩内の地図測量を行なっていますが、その際に、完成した地図を密かに平戸藩10代藩主・松浦熈に渡すように依頼。
その後、伊能忠敬は没しますが、約束を守って、高橋景保が地図を松浦家に納入しているのです。

そういった関係から、この「大悲観」は、高橋景保の処刑に対するメッセージだと推測する人もいるのです。

大悲観公園
名称 大悲観公園/だいひかんこうえん
所在地 佐世保市小佐々町小坂34-1
関連HP 佐世保市公式ホームページ
電車・バスで JR佐世保駅から楠泊経由江迎行バスで45分、小島入り口下車、徒歩5分
ドライブで 西九州自動車道佐々ICから約2.5km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 佐世保観光情報センター TEL:0956-22-6630
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

眼鏡岩

長崎県佐世保市瀬戸越町にある奇岩が眼鏡岩。少し離れてみると2連のアーチ石橋のように見えるので眼鏡岩という名前があります。高さ10m、幅20mの屏風状の岩に、浸食で巨大な洞門が誕生し、眼鏡状になったもので、鬼がつくったという伝説も。「平戸領地

潜竜ヶ滝

長崎県佐世保市江迎町にある落差20mの名瀑、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)。その名のとおり、龍が潜む滝との伝説がある滝で、天保年間(1831年〜1845年)に平戸藩10代藩主・松浦熈(まつらひろむ)が選んだ「平戸領地方八竒勝」(ひらどりょうじ

 

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