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福岡の市跡

福岡の市跡

岡山県瀬戸内市長船町福岡、中世の福岡荘で開かれていた定期市の跡が福岡の市跡(ふくおかのいちあと)。吉井川と 山陽道が交わる地で、天正19年(1591年)の吉井川の大洪水で町が壊滅的な被害を受けるまで、備前一の都市「福岡千軒」と呼ばれるほどに繁栄していました。

中世、山陽道屈指の賑わいを見せた市の跡

『一遍上人聖絵「福岡の市の段」』(清浄光寺所蔵全12巻/国宝)は、弘安元年(1278年)、時宗の開祖・一遍(いっぺん)が福岡の市で説法する様子を描いたもの。
絵図に描かれた福岡の市で売られている品物は、織物、米、魚、伊部焼(いんべやき=備前焼)、そして刀(「備前長船」で有名な土地です)、布、鳥など。
商人だけでなく武士など老若男女が集まる活気が描かれています。
中世の福岡の市は月に3回開く三斎市でした。
吉井村で開かれる「下市 」、「八日市 」、「茶屋市 」(現在の西小路の西側、堤防道路脇あたりで開催)の総称が福岡の市だったと推測できます。

福岡の市が繁栄したのは、日本有数の刀剣の産地、備前焼の産地が隣接、そして山陽道と吉井川の舟運の水陸交差点ということから。
備前福岡の周辺には、八日市、一日市という地名も残ることから、地域の物産が集結する定期市が開かれていたことがよくわかります。

詳しく知りたい場合には、備前福岡郷土館のパソコンを使って楽しむ国宝一遍聖絵デジタルミュージアムの利用を。
ちなみに一遍上人は瀬戸内海の豪族、河野水軍に関係する生まれといわれています。

毎月第4日曜(8:00~14:00)には、福岡市場小路一帯で、中世の賑わいを再現した『備前福岡の市』が開催されています(4月と11月は「大市」)。

ちなみに福岡という地名は、刀鍛冶(かたなかじ)へとつながる、丘の麓で製鉄が行なわれ、鞴(ふいご)を吹く丘に由来するという説もあります。
この福岡が黒田家中興の地ということから、福岡という縁起のいい地名は、黒田長政の福岡城築城の際、九州・福岡に名付けられ、福岡県、福岡市という県名・市名のルーツにもなっているのです。

『一遍上人聖絵「福岡の市の段」』(国宝、部分)
福岡の市跡
名称 福岡の市跡/ふくおかのいちあと
所在地 岡山県瀬戸内市長船町福岡
電車・バスで JR長船駅から徒歩20分
ドライブで 山陽自動車道山陽ICから約10km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 瀬戸内市観光協会 TEL:0869-34-9500
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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