沖縄県那覇市にある臨済宗の寺で沖縄随一の大寺の跡が円覚寺跡。琉球王朝の黄金時代を築いた尚真王(しょうしんおう)が、1494年に3年の歳月をかけて建立した琉球王家の菩提寺。開山は日本の禅僧・芥隠承琥(かいいんじょうこ)。名前の通り鎌倉にある円覚寺を模して琉球随一の大伽藍が築かれました。沖縄戦で放生橋を残して焼失。
鎌倉の円覚寺を模した琉球一の大伽藍の跡
沖縄戦で本堂などの建築物は破壊され、現在は総門(昭和43年復元)、放生池、放生橋のみが往時を偲ばせています(首里城公園の一部、三門を復元中)。
残りの敷地は沖縄県立芸術大学の一部、琉球大学跡地となっています。
放生橋は沖縄最古の石橋。
放生橋の勾欄(欄干)には、往時を偲ぶ獅子、鶴、亀、牡丹などの石彫が施され、橋とその参道は国の重要文化財に指定されています。
円覚寺の建つ場所は、首里城の艮(うしとら=北東)の方角、つまり日本の陰陽道における鬼門。
鎌倉時代以降、明と日本、琉球王国の三角貿易において日本側は留学僧など禅僧が漢文による文書作成を担っていました。
また尚巴志王(しょうはしおう=1429年、琉球王国最初の統一王朝を成立、1439年没)が亡くなった後、道教から仏教隆盛の時代へと転換し、尚泰久王(しょうたいきゅうおう=在位1454年〜1460年)の時代には多くの寺が建立されています。
梵鐘は明応4年(1495年)、周防国(現・防府市)で鋳造されていることから日明貿易(勘合符を使った朝貢貿易でした)を担って繁栄した大内氏は、中継点とした琉球王国とも交易していました。
円覚寺の山号が天徳山なのは、天子(中国皇帝)の恩徳という意味で、中国への配慮もなされているのです(琉球王国は、朝鮮と同様に中国王朝を宗主国とした従属国でした)。
円覚寺の円鑑池(えんかんち)では、中国からの冊封使(さくほうし=中国王朝の皇帝が付庸国の国王に爵号を授けるために派遣する使節)を招いて宴が開かれました。
円覚寺跡 | |
名称 | 円覚寺跡/えんかくじあと |
所在地 | 沖縄県那覇市首里当蔵町1-2 |
関連HP | 那覇市公式ホームページ |
電車・バスで | ゆいレール首里駅から徒歩12分 |
ドライブで | 沖縄自動車道那覇ICから約2.2kmで首里杜館駐車場 |
駐車場 | 首里杜館地下駐車場(50台~116台/有料)、季節により収容台数が異なる。原則として2時間以内の利用 |
問い合わせ | 那覇市経済観光部観光課 TEL:098-862-3276/FAX:098−862-1580 |
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