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沖縄県平和祈念資料館

沖縄県平和祈念資料館

沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)、沖縄本島南端部、沖縄戦跡国定公園の平和祈念公園内にある資料館が、沖縄県平和祈念資料館。建物は波形を描き並べられた「平和の礎」(へいわのいしじ)を囲むように配され、小さな赤瓦屋根が連なり沖縄の伝統的な民家集落の雰囲気が漂っています。

悲惨な戦争体験を後世に伝え、平和を願う資料館

昭和50年、『沖縄海洋博覧会』の開幕に合わせ開館した資料館ですが、展示内容の見直し改善作業が行なわれ、昭和53年に完成。
現在は第1室「沖縄戦への道」、第2室「住民の見た沖縄戦『鉄の暴風』」、第3室「住民の見た沖縄戦『地獄の戦場』」、第4室「住民の見た沖縄戦『証言』」、第5室「太平洋の要石(かなめいし)」の5部構成となっています。

第1室「沖縄戦への道」は、「近代の沖縄」→「15年戦争とアジア・太平洋」→「アジア太平洋戦争の動き」→「沖縄戦の前夜」と沖縄戦に至るまでの過程を紹介し、戦争がなぜ起こったのかを解説しています。
明治政府の皇民化政策(こうみんかせいさく)、近代化を急ぐ富国強兵政策なども取り上げ、住民が戦争にどう関わっていったかもよくわかる内容になっています。

第2室「住民の見た沖縄戦『鉄の暴風』」では、およそ3ヶ月に及んだ沖縄戦(『鉄の暴風』)が、沖縄の土地の形状、風景を一変させ、軍民20数万の死者を出す凄まじいもとであったことを解説。

第3室「住民の見た沖縄戦『地獄の戦場』」は、アメリカ軍の上陸により、島内を逃げ惑うことになった住民の悲惨な状況を紹介。
「ガマ」と称される鍾乳洞や地下壕に暮らす姿、「死の彷徨」(しのほうこう)となった地上の逃避行を象徴的に展示し、住民が巻き込まれた実態に迫ります。
壕の中では、日本兵による住民虐殺、強制による集団死もあったという解説もあり、アメリカ軍の艦砲射撃、火炎放射器による攻撃と、逃げ場もなく、まさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄となったことがよくわかります。

物的資料になるものは非常に少ないことから、常設展示室の大半は戦争体験者の証言記録の展示で、あわせて召集令状や軍の機密文書、ひめゆり学徒の手記などを展示、悲惨な沖縄戦の実態を直視し、後世に語り告げる内容になっています。

また、沖縄本島の立体図とナレーションで沖縄戦の経過を解説。

人間の尊厳を何よりも重く見て、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求め、人間性の発露である文化をこよなく愛する「沖縄のこころ」を訴え、史上まれにみる激烈な戦火の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝える施設であることが設立理念には明記されています。

沖縄平和祈念堂
名称 沖縄県平和祈念資料館/おきなわけんへいわきねんしりょうかん
所在地 沖縄県糸満市摩文仁448-2
関連HP 沖縄県平和祈念資料館公式ホームページ
ドライブで 那覇空港から約18km
駐車場 300台/無料
問い合わせ 沖縄県平和祈念資料館 TEL:098-997-3844/FAX:098-997-3947
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

沖縄平和祈念堂

沖縄県糸満市、沖縄県県営平和祈念公園にある沖縄平和祈念堂は、高さ45mの七角形の塔で、摩文仁(まぶに)の高台にそびえ立っています。堂内には、沖縄出身の彫刻家・山田真山(やまだしんざん)が18年の歳月を費やし制作した漆製の平和祈念像が安置され

平和の礎

沖縄県糸満市字摩文仁、沖縄本島の南端、摩文仁の丘(まぶにのおか)の平和祈念公園にあるのが、平和の礎(へいわのいしじ)。世界の恒久平和を願い、国籍、軍人と民間人の区別なく、沖縄戦などで没したすべての人々の氏名を刻んだ記念碑。戦争体験の教訓の継

平和の火

沖縄県糸満市字摩文仁、沖縄本島の南端、摩文仁の丘(まぶにのおか)の平和祈念公園に灯されるのが、平和の火。平和の礎(へいわのいしじ)のメイン園路の海側、平和の広場に配され、沖縄戦最初の米軍上陸地である阿嘉島(あかじま)と、被爆地の広島、長崎か

 

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