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近つ飛鳥風土記の丘

近つ飛鳥風土記の丘

大阪府南河内郡河南町(かなんちょう)、6世紀後半を中心とした円墳・方墳102基を有する国の史跡・一須賀古墳群(いちすかこふんぐん)を保存する大阪府立の歴史公園が、近つ飛鳥風土記の丘。29haの広大な敷地に、直径15m前後の円墳のうち40基が保存整備され、自然のままの姿の横穴式石室を見学することが可能。

春には梅林に梅が咲き、陽だまりハイキングにも絶好!

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘の一須賀古墳群(国の史跡)は、6世紀中頃〜7世紀前半にかけて築造された大阪府内でも有数の群集墳で、高安古墳群、平尾山古墳群とともに、大阪府三大群集墳にも数えられています。
北側の磯長谷古墳群(しながだにこふんぐん=7世紀の王陵群「王陵の谷」)との強い結び付きが想定されることから、朝鮮半島からもたらされた新しい技術力を背景に、有力氏族が掌握した渡来系氏族の集団墓と推測されています。

石室内には、家形石棺を復原して設置してあるので、どのように埋葬されたのかも理解できます。
園内には散策路が用意され、展望台も2ヶ所に設置。

園内にある「近つ飛鳥博物館」には古墳・飛鳥時代を紹介する資料や模型、実物の土器に触れることができる相談カウンターなどもあり、周辺の散策マップも用意しているからまずは「近つ飛鳥博物館」にお立ち寄りを。
近つ飛鳥博物館背後の丘陵に梅140本が植栽され、2月下旬~3月上旬が見頃となっています。

園内の第一展望台からは、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」(もず・ふるいちこふんぐん)の仁徳天皇陵(堺市)を遠望できます。

近つ飛鳥とは!?

近つ飛鳥という地名は、『古事記』に記された地名で、大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさす言葉。
大和国(現・奈良県)飛鳥は、「近つ飛鳥」に対して「遠つ飛鳥」と呼ばれていました。
『古事記』には履中天皇の同母弟で、仁徳天皇の第三皇子・蝮之水歯別命(たじひのみずはわけのみこと=後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で2泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたと記されています。

難波津(なにわのつ=古代の大阪港)と大和・飛鳥を結ぶ古代の官道(竹内街道)沿いに位置し、磯長谷には、敏達天皇、用明天皇、聖徳太子、推古天皇、孝徳天皇の陵墓があるため、「王陵の谷」と呼ばれています。
平安時代に編纂された『新撰姓氏録』によると、一帯は百済系(飛鳥戸造、上曰佐)、新羅系(竹原連)、中国系(下曰佐、田辺史、山代忌寸)の渡来系氏族の居住地だと記され、日本創生期のドラマを秘めた重要な土地になっているのです。

近つ飛鳥風土記の丘
名称 近つ飛鳥風土記の丘/ちかつあすかふどきのおか
所在地 大阪府南河内郡河南町東山
関連HP 近つ飛鳥博物館公式ホームページ
電車・バスで 近鉄長野線喜志駅、または、富田林駅から金剛バスで近つ飛鳥博物館前下車
ドライブで 南阪奈道路太子ICから約4km、羽曳野東ICから約6km
駐車場 博物館駐車場(80台/無料)・風土記の丘駐車場(30台/無料)
問い合わせ 近つ飛鳥博物館 TEL:0721-93-8321/FAX:0721−93−8325
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

一須賀古墳群

大阪府南河内郡河南町(かなんちょう)にある6世紀中頃〜7世紀前半にかけて築造された大阪府内でも有数の群集墳が、一須賀古墳群(いちすかこふんぐん)。一帯は大阪府立の近つ飛鳥風土記の丘として整備され、「近つ飛鳥博物館」が建っています。渡来系氏族

近つ飛鳥博物館

大阪府南河内郡河南町(かなんちょう)、6世紀後半を中心とした円墳・方墳102基を有する国の史跡・一須賀古墳群(いちすかこふんぐん)を保存する大阪府立の近つ飛鳥風土記の丘。その中心施設でビジターセンターになっているのが近つ飛鳥博物館です。古代

 

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