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四條畷神社

四條畷神社

大阪府四條畷市(しじょうなわてし)にある南北朝時代に父・楠木正成の意志を継ぎ、足利尊氏を戦い四條畷の戦いで敗死した南朝方・楠木正行(くすのきまさつら)を祀る神社が四條畷神社。明治23年、維新後の世相を反映し尊王思想の模範とされ、楠木正行の墓所の東、飯盛山麓に創建した神社です。

楠木正行を主祭神に将士24名を祀る

楠木正行を主祭神として、その弟・楠正時など一族の将士24名を祀っています。
大楠公・楠木正成を父に持ち、小楠公(しょうなんこう)と呼び親しまれた正行は、正平3年(1348年)、南朝方として四条畷の戦いで敗れ、23歳で討ち死にしました(没した年齢に関しては諸説あります)。
府の天然記念物に指定されている正行墓の「くすは」は、初めはその供養碑の両側に植えられていましたが、大きくなり碑を覆うように1本になったと伝えられる大木。
境内には大楠公夫人を祀る神社や、創建100年を記念して伊勢神宮から遷したという鳥居もあります。

四条畷は中世には東高野街道に沿う交通の要衝。
南北朝時代には南朝方の楠木正行と北朝方の高師直(こうのもろなお)・高師泰(こうのもろやす)がこの地で激戦を交え、「四條畷の合戦」といわれています。
高師直軍は8万、迎え撃つ楠木正行軍はわずかに2000だったとか。

明治維新後、天皇制の強化、富国強兵の世相を反映し、楠木正行は忠臣として見直され、後醍醐天皇を裏切った足利尊氏は逆賊として扱われたのです(明治44年、忠君愛国、滅私奉公の世相を反映し、南北朝の正統性をめぐる論争が決着して南朝正統となったため、足利尊氏は逆賊とされました)。

名称 四條畷神社/しじょうなわてじんじゃ
所在地 大阪府四條畷市南野2-18-1
電車・バスで JR四条畷駅から徒歩15分
ドライブで 第二京阪道路寝屋川南ICから約4km
問い合わせ TEL:072-876-0044
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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