大阪府羽曳野市にある墳丘長190mという巨大な前方後円墳が軽里大塚古墳(かるさとおおつかこふん)。古市古墳群のひとつに数えられています。被葬者は明らかでありませんが、宮内庁は「白鳥陵(しらとりのみささぎ)」として第12代景行天皇皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと=倭建命)の陵に治定しています。
宮内庁は日本武尊(倭建命)の陵に治定
「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省
『日本書紀』、『古事記』、『先代旧事本紀』に登場し、熊襲征討・東国征討を行なった日本古代史上の伝説的英雄、日本武尊。
宮内庁がその日本武尊の陵と治定するのが軽里大塚古墳です。
『古事記』によれば、日本武尊は、伊勢の「能煩野」(のぼの=能褒野)で没したとし、日本武尊の后・子らが能煩野に下向して陵を造ったとしています。
ところが、日本武尊は白い千鳥となって伊勢国から飛び立ち、河内国の志幾(しき)に留まったので、その地に陵を造り「白鳥御陵(しらとりのみささぎ)」と称したのだとか。
「さらに白鳥は舞い上がり、埴生の丘を羽を曳くがごとく飛び立った」(羽曳野市に鎮座する白鳥神社の縁起)とあることが、羽曳野市という市名の由来にもなっています。
軽里大塚古墳の規模は、全長190m、後円部径106m、高さ20m、前方部幅165m、高さ23mとかなり巨大ですが、天皇陵8基など巨大な古墳が多い古市古墳群では7番目の大きさになっています。
昭和56年に発掘調査が行なわれ、後円部の円筒埴輪列が確認され、家、蓋などの形象埴輪が出土しています。
その規模などから古市古墳群では市ノ山古墳と同時期の5世紀後半の築造と推定。
宮内庁が管理し、古墳の内部に立ち入ることはできませんが、日本武尊白鳥陵拝所から眺めることが可能です。
その後、伊吹山で病に倒れ、『古事記』によれば能煩野(三重県亀山市)で没しています。
現在、宮内庁が日本武尊の墓と治定する場所は、実は以下の3ヶ所あります。
能褒野墓(のぼののはか、三重県亀山市田村町=能褒野王塚古墳/4世紀末の築造)
白鳥陵(しらとりのみささぎ、奈良県御所市富田)
白鳥陵(しらとりのみささぎ、大阪府羽曳野市軽里=軽里大塚古墳/5世紀後半)
軽里大塚古墳(白鳥陵) | |
名称 | 軽里大塚古墳(白鳥陵)/かるさとおおつかこふん(しらとりのみささぎ) |
所在地 | 大阪府羽曳野市軽里3丁目 |
関連HP | 羽曳野市公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄南大阪線古市駅から徒歩8分。遙拝所へは徒歩15分 |
ドライブで | 南阪奈道路羽曳野ICから約2.5km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 羽曳野市教育委員会事務局 TEL:072-958-1111 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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