摂津国一宮とも称される大阪市中央区に鎮座する坐摩神社(いかすりじんじゃ)ですが、羽柴秀吉の大坂城築城までは、淀川(現在の大川)河口、渡辺津(わたなべのつ)に鎮座していました。天満橋近くの石町には現在も坐摩神社行宮(あんぐう=御旅所)がありますが、熊野九十九王子の最初、窪津王子(くぼつおうじ)と推測されています。
古代の渡辺津に建立された坐摩神社の旧社地
古代、瀬戸内海沿岸で最大の湊だったのが渡辺津(窪津とも)。
現在の天満橋から天神橋あたりにあったと推測され、神功皇后(じんぐうこうごう)の新羅遠征などもここから船出、帰帆。
坐摩神社行宮の境内には神功皇后が休息したという鎮座石が残されています(ただし「元禄年間、民地だったこの地で一石を発掘し、これを影向石または鎮座石と称し、ここに末社を建造し、菅田町すなわち徳井町の御旅所をこの地に移した」『大阪府史蹟名勝天然記念物資料』とあり、定かでありません)。
飛鳥時代には孝徳天皇の難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)、聖武天皇の難波宮(なにわのみや)が営なまれていました。
さらには外国からの賓客をもてなす鴻臚館が建設されていますが、承和6年(839年)に最後の遣唐使が帰国したこともあって、承和11年(844年)には役割を終えた鴻臚館が摂津国府に転用されています。
平安時代になると、熊野三山(現在の熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への熊野詣が盛んになり、熊野へ至る紀伊路(渡辺津〜田辺)の起点が渡辺津(八軒家船着場)。
つまり、天皇・上皇や公家は、京から舟で旧淀川河口まで下り、渡辺津で上陸。
陸路、熊野を目指しました。
熊野九十九王子の最初の王子(熊野権現の御子神)が坐摩神社、つまりは窪津王子だったわけなのです。
そんな時代に、源綱(渡辺綱)がこの地に住んで渡辺を名字としたのが、全国の渡辺姓のルーツ。
坐摩神社は渡辺さんのルーツですが、実は坐摩神社行宮こそ、ルーツの中のルーツなのです。
坐摩神社行宮 | |
名称 | 坐摩神社行宮/いかすりじんじゃあんぐう Ikasuri Jinja Angu Shrine |
所在地 | 大阪府大阪市中央区石町2-2-15 |
電車・バスで | 京阪電気鉄道・大阪メトロ天満橋駅から徒歩5分 |
ドライブで | 阪神高速1号環状線本町出口から約1km |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
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