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下赤坂城

下赤坂城

大阪府千早赤阪村にある楠木正成築城の城。後醍醐天皇の呼び掛けに応じた楠木正成が鎌倉幕府に対抗して築いた楠木七城のひとつで、城跡一帯には「日本の棚田百選」選定の下赤坂の棚田が広がっています。現在の千早赤阪村役場裏手付近が主郭(本丸)だったと推測されていますが、遺構は残されていません。「赤阪城跡」として国の史跡に指定。

「日本の棚田百選」選定の下赤坂の棚田周辺が城跡

元弘元年(1331年)の元弘の乱(後醍醐天皇が決起を呼びかけた鎌倉幕府の倒幕運動)で、楠木正成が決起した時、下赤坂城は大軍の攻撃にあって落城しています。
下赤坂城は、砦(とりで)、あるいは出城程度の造りだったため、鎌倉幕府軍の攻撃の前には奇策を用いて翻弄するほかなく、楠木正成は金剛山に潜伏。
その後、再度挙兵をしますが、上赤坂城、千早城に後退しています。

その後、下赤坂城は南北朝時代にも南朝側の城として機能していますが、延文5年(正平15年、1360年)に落城しています。

「日本の棚田百選」選定の下赤坂の棚田は、室町時代に築かれていますが、その一部は下赤坂城だったと推測できます。
石垣などの一部は転用石なのかもしれません。

千早赤阪中学校の裏手に「下赤坂城址」の石碑が立っています。
金剛山周辺には上赤坂城とともに猫路山城、枡形城、本宮城などの出城が築かれ赤坂城塞群を形成。

下赤坂城
名称下赤坂城/しもあかさかじょう
所在地大阪府南河内郡千早赤阪村森屋
関連HP千早赤阪村公式ホームページ
電車・バスで近鉄長野線富田林駅から金剛バスで赤阪中学校前、または、消防分署前下車、徒歩10分
ドライブで阪和自動車道美原南ICから約14km
駐車場消防署横駐車場・千早赤阪村民運動場を利用
問い合わせ千早赤阪村観光協会 TEL:0721-72-1447/FAX:0721-72-1880
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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