建水分神社

建水分神社

大阪府南河内郡千早赤阪村、金剛山(1125.3m)の北東麓にある金剛山の総鎮守で楠木氏の氏神が、建水分神社(たけみくまりじんじゃ)。社伝では第10代崇神天皇が水神として奉祀したという古社で、地元では水分神社(すいぶんじんじゃ)と呼ばれています。

南北朝時代に楠木正成が再建した社

建武元年(1334年)、楠木正成(くすのきまさしげ)が後醍醐天皇の勅命を受けて、麓にあった社殿を現在の山上に遷して本殿、拝殿、鐘楼などを整備。
楠木正成造営と伝わる本殿(非公開)は中殿、左殿、右殿の三殿からなり、中央は春日造り、左右は流造りで、渡廊で繋がる全国唯一の様式。
南北朝時代の特徴が色濃く、国の重要文化財に指定されています。
また、旧宝物庫は、国の登録有形文化財に指定。
万延元年(1860年)奉納の石造狛犬も見事です。

摂社の南木神社(なぎじんじゃ)は楠木正成を祀る最古の神社で、現存する社殿は、皇紀2600年とされた昭和15年の再建。
戦前は、軍靴の足音とともに、軍部などが楠木正成は忠臣、そして軍事的天才であるとして大いに称えられ、多くの参詣者を集めていましたが、今は水神信仰、楠木正成生誕の地を静かに伝える社になっています。
近年では、忠臣という側面よりも軍事的天才としての歴史的な研究も進められています。

『太平記』巻第三「主上御夢の事 付けたり 楠が事」に、楠木正成は河内金剛山の西、大阪府南河内郡千早赤阪村に居館を構えたとあり、下赤坂城などを拠点としていますが、生誕地に関しては今も定かでありません(ただし、千早赤阪村には「楠公誕生地」の石碑も立っていて、楠木氏館跡の有力な候補地になっています)。

建水分神社
名称 建水分神社/たけみくまりじんじゃ
所在地 大阪府南河内郡千早赤阪村水分357
関連HP 建水分神社公式ホームページ
電車・バスで 近鉄長野線富田林駅から金剛バス白木線で20分、水分下車、徒歩2分
ドライブで 阪和自動車道美原南ICから約13km
駐車場 6台/無料
問い合わせ 建水分神社 TEL:0721-72-0534
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
下赤坂城

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