大阪市街地を流れる大川に架る橋が天満橋(てんまばし)。すぐ下流側、中之島公園に架る天神橋とともに大阪天満宮の参道の橋というのが名の由来で、上流から天満橋、天神橋、難波橋と連続する「浪華三大橋」のひとつ。大川・中之島の橋梁群(桜宮橋、天満橋、天神橋、大江橋、淀屋橋)として土木学会の土木遺産にも認定されています。
昭和10年架橋のプレートガーダー橋
天満橋筋、現在の大阪府道30号(大阪和泉泉南線)の橋で、土佐堀通をまたぐ跨道橋にもなっています。
もともとは、天神橋同様に、大阪天満宮が架橋、管理した橋ですが、寛永11年(1634年)、天神橋などとともに徳川幕府直轄の公儀橋になっています。
初代の架橋年代は定かでありませんが、慶長19年(1614年)の『大坂冬の陣配陣図』に「てん満橋」の名があるので、天神橋と同様に豊臣政権下で築かれていたことは間違いありません。
明和8年(1771年)、寝屋川、鯰江川合流点からの逆流防止策(将棊島粗朶水制/しょうぎじまそだすいせい)で、将棊島(しょうぎじま)と呼ばれる幅13m、長さ430mの堤防を八軒家浜の前に築き、それを跨いで橋がかかっていましたが、明治42年、昭和5年の河川改修などで将棊島は上町側と陸続きとなって失われています。
江戸時代の架橋地点は現在地より一筋東でしたが、明治11年に谷町筋と天満橋筋を結ぶ位置に付け替えられ、明治18年7月の淀川大洪水で流出したため、鋼製トラス橋が架橋されています。
その後、明治44年からは大阪市電の曽根崎天満橋筋線(梅田新道〜天満橋間)も敷設され、昭和39年10月1日の廃止まで鉄道併用橋にもなっていました。
現在の橋は、昭和10年12月25日に大阪市第一次都市計画事業の鉄道併用橋として架橋されたプレートガーダー橋(橋長151.0m、幅員19.0m)。
河川交通、京阪電鉄の拠点、天満橋
天満橋の下流側、天神橋との間に、江戸時代に京、伏見からの三十石船、淀川の荷客輸送にあたった過書船の発着場となった八軒家浜(はちけんやはま)があり、現在は八軒家浜船着場が整備され、大阪水上バス「アクアライナー」、遊覧観光船、屋形船が発着しています。
なお、八軒家浜船着場のあるあたりが、平安時代~鎌倉時代の渡辺津(わたなべのつ)で、京から舟で下ってきた熊野詣の参詣者は、ここで陸に上がり、四天王寺を経て熊野を目ざしたのです。
また、明治43年4月15日には、京阪電鉄初の路線として、大阪・天満橋〜京都・五条(現・清水五条)が開業(現在の京阪本線)。
当初計画では高麗橋付近を起点としていましたが、当時の大阪市の都市計画を受け入れて、天満橋駅が起点とされたのです。
大阪市電の曽根崎天満橋筋線も明治44年に開業し、当時、天満橋はターミナル駅になっていました。
天満橋 | |
名称 | 天満橋/てんまばし |
所在地 | 大阪府大阪市北区天神橋1丁目~中央区北浜東 |
関連HP | 大阪観光局公式ホームページ |
電車・バスで | 大阪メトロ・京阪本線天満橋駅から徒歩6分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 大阪観光案内所 TEL:06-6131-4550 |
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