大阪府大阪市中央区大手前4丁目、大阪城公園に隣接する大阪歴史博物館の一角、難波宮(なにわのみや)跡の北西にあるのが、法円坂遺跡(ほうえんざかいせき)。古墳時代の大倉庫群跡で国の史跡に指定。難波宮遺跡の下層からは難波宮以前の建物遺構が出土していますが、法円寺遺跡もそのひとつです。
5世紀に建設された巨大な高床式倉庫群
大阪歴史博物館・NHK大阪放送局の敷地内に位置し、発掘調査では掘立柱の大型高床式倉庫が計16棟が見つかっています。
しかも配置が建物を正しい東西に並べるという古墳時代としては特異なもので、難波宮のルーツとしての性格を帯びていることがわかります。
5世紀に建設された巨大な高床式倉庫群のうち、大阪歴史博物館・NHK大阪放送局の南側の史跡公園に1棟が復元され、通常は外観のみ見学が可能。
難波宮では王権による難波堀江(人工運河)開削、難波津(王権の港)掘削が知られていますが、海外交流の拠点だった古代の大阪港・難波津の大型倉庫だった可能性が大なのです。
そのため、難波宮跡附法円坂遺跡として国の史跡に。
令和32年(2050年)が「難波宮遷都1400年」となることから、大阪市では史跡難波宮跡附法円坂遺跡整備基本計画を立て、整備をすすめる計画です。
ヤマト王権と倉庫群との関係とは!?
昭和62年、法円坂町の市立中央体育館跡地の発掘調査で巨大な倉庫群が発見されたのが、法円坂遺跡が世に出た始まり。
1棟当たり、90平方メートルもある高床式の掘立柱建物が2列16棟も並んでいたのですが、当時の一般的な倉庫の4~5倍、奈良時代の3倍という規模で、正倉院(奈良時代)にも匹敵する国家的プロイジェクトの大型倉庫であることがわかります。
しかも建設されたのは、5世紀後半。
周辺が市街化されているため、それ以上の発掘調査は望めませんが、上町台地北端部に5世紀後半に並んでいた倉庫群は、難波津に陸揚げされた物資を保管するためのものなのか、はたまた朝鮮半島への出兵に備えた武器庫だったのか、判然としません。
当時、東側には河内湖、西側には大阪湾が迫り、河内湖と大阪湾を結ぶ古代の大運河「難波の堀江」が完成したのもこの時代だった可能性があります。
平成22年には難波宮跡の南方で、5世紀前半(古墳時代中期)ごろに日本で最古級の須恵器を生産していた上町谷窯(2基の須恵器窯)も発見され、5世紀の大阪の研究が新たな局面を迎えています。
法円坂遺跡 | |
名称 | 法円坂遺跡/ほうえんざかいせき |
所在地 | 大阪府大阪市中央区大手前4-1 |
関連HP | 大阪歴史博物館公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄中央線谷町四丁目から徒歩5分 |
ドライブで | 阪神高速道路東大阪線法円坂ランプからすぐ |
駐車場 | 大阪歴史博物館地下駐車場(144台/有料) |
問い合わせ | 大阪歴史博物館 TEL:06-6946-5728/FAX:06-6946-2662 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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