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ヒチンジョ池西古墳石棺

ヒチンジョ池西古墳石棺

大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の寺、野中寺(やちゅうじ)境内にあるのが、ヒチンジョ池西古墳石棺。ヒチンジョ池西古墳は、かつて来目皇子墓(くめみこのはか)といわれる塚穴古墳の西方にあった古墳で、昭和23年頃の開墾の際に発見された石棺(古墳の埋葬施設)が、野中寺に保存されています。

失われたヒチンジョ池西古墳にあった石棺

横穴式石室の内部に置かれたのが石棺。
精巧に加工した凝灰岩の巨石を組み合わせた石棺で、石棺の内部から銅製の釘(くぎ)や黒漆(くろうるし)の残片が見つかっているので、漆で塗られた壁に木棺が安置されていたことが判明しています。
ヒチンジョ池西古墳は、7世紀末葉(古墳時代終末期)の古墳だと推測されていますが、古墳のあった羽曳野丘陵(「河内飛鳥」と呼ばれる一帯)からは終末期古墳や奈良時代の火葬墓(かそうぼ)が発見されています。
いずれも白村江の戦いで国が滅亡した新羅(しらぎ)など、古代の朝鮮半島の政情不安で倭国・日本に渡ってきた渡来系氏族の墓だと推測され、機織(はたおり)、陶器の生産、鉄製品、乗馬、文字、暦法、仏教、土木技術などの先進文化を河内飛鳥の地に伝えています。
一帯は「もうひとつの飛鳥」とも呼ばれ、古代には先進文化が花開いていたのです。

ヒチンジョ池西古墳と小口山古墳は、丹比道(たじひみち=難波津と大和の都を結び、河内平野を東西に走っていた直線古道、近世の竹内街道の前身)と呼ばれる古道(官道)沿いに築かれていることからも、重要な役割を担った人物だったことがわかります。

ヒチンジョ池西古墳石棺
名称 ヒチンジョ池西古墳石棺/ひちんじゅいけにしこふんせきかん
所在地 大阪府羽曳野市野々上5-9-24
関連HP 羽曳野市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 近鉄藤井寺駅から徒歩25分
ドライブで 西名阪自動車道藤井寺ICから約2.5km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 野中寺 TEL:072-953-2248
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

野中寺

大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の寺が、野中寺(やちゅうじ)。聖徳太子建立三太子に数えられ、「中の太子」と称されています。境内には飛鳥時代〜奈良時代初期の法隆寺式伽藍配置を示す礎石が残され、その歴史を裏付け、国の史跡に指定されています。聖徳

小口山古墳

大阪府羽曳野市軽里にある古墳が、小口山古墳(こぐちやまこふん)。直径30mの円墳で、凝灰岩の巨石をくり抜いた横口式石槨(よこぐちしきせっかく)が備わっています。横口式石槨は、同じ羽曳野市の観音塚古墳にも見られ、7世紀後半(飛鳥時代)に築造さ

 

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