野中寺

野中寺

大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の寺が、野中寺(やちゅうじ)。聖徳太子建立三太子に数えられ、「中の太子」と称されています。境内には飛鳥時代〜奈良時代初期の法隆寺式伽藍配置を示す礎石が残され、その歴史を裏付け、国の史跡に指定されています。

聖徳太子ゆかりの「河内三太子」の「中の太子」

聖徳太子ゆかりの「河内三太子」は四天王寺、法隆寺と並んで太子信仰の中核となった「上の太子」・叡福寺(太子町)、「中の太子」・野中寺、そして「下の太子」・大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ/八尾市)の3寺。
寺伝によれば、野中寺は聖徳太子の命を受けた蘇我馬子の開基ですが、発掘調査で、創建は蘇我馬子没後、孝徳天皇の御代となる白雉元年(650年)頃ではないかと推測されています。

往時の堂宇は、南北朝時代の延元の戦い(野中寺合戦)で焼失、江戸時代の寛文元年(1661年)に再興されています。
江戸時代には律宗の勧学院として、和泉・神鳳寺(堺市、現・大鳥大社境内にあった古刹)、槇尾・西明寺(京都市右京区)とともに律院三大僧坊として繁栄、現在の高野山真言宗に転じたのは、明治時代のこと。
西隣の野々上八幡神社は、かつての鎮守社で、明治初年の神仏分離令で分かれたもの。

地蔵堂安置の木造地蔵菩薩立像、金銅弥勒菩薩半跏像は国の重要文化財。
享保17年(1732年)建立の僧房2棟、享保9年(1724年)に大和国郡山藩主・柳沢吉里(やなぎさわよしさと)が別邸の客殿を移築した客殿と食堂(じきどう)、ヒチンジョ池西古墳石棺は、大阪府の有形文化財に指定されています。

本尊の薬師如来像は秘仏で非公開ですが、木造地蔵菩薩立像、金銅弥勒菩薩半跏像は毎月18日に観音様縁日に公開され、多くの参詣者を集めています。
西国薬師四十九霊場の14番札所、聖徳太子霊跡5番札所、河内飛鳥古寺霊場6番札所にもなっています。

野中寺
古代には五重塔もそびえた壮大な伽藍があった!
野中寺
名称 野中寺/やちゅうじ
所在地 大阪府羽曳野市野々上5-9-24
関連HP 羽曳野市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 近鉄藤井寺駅から徒歩25分
ドライブで 西名阪自動車道藤井寺ICから約2.5km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 野中寺 TEL:072-953-2248
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
叡福寺

叡福寺

大阪府南河内郡太子町にある古刹、叡福寺。飛鳥時代に推古天皇が厩戸皇子(うまやどのおうじ=聖徳太子)の墓所を守護するために創建と伝わります。推古天皇28年(620年)、厩戸皇子(聖徳太子)がこの地に自身の墓所を造営することを決め、 推古天皇3

ヒチンジョ池西古墳石棺

ヒチンジョ池西古墳石棺

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