叡福寺

叡福寺

大阪府南河内郡太子町にある古刹、叡福寺。飛鳥時代に推古天皇が厩戸皇子(うまやどのおうじ=聖徳太子)の墓所を守護するために創建と伝わります。推古天皇28年(620年)、厩戸皇子(聖徳太子)がこの地に自身の墓所を造営することを決め、 推古天皇30年2月22日(622年4月8日)に没した際に実際に葬られたと推測されています。

聖徳太子の陵墓を守護する寺

厩戸皇子(聖徳太子)の生母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ、厩戸皇子(聖徳太子)、そして妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が眠る叡福寺北古墳(磯長墓)が寺域に築かれています。

神亀元年(724年)、聖武天皇の発願で東院(東福院)・西院(叡福寺)の2つの伽藍を整備(叡福寺の創建年代については諸説あり定かでありません)。
平安時代以後、聖徳太子信仰の霊場となり、空海や親鸞 、日蓮など多くの高僧が訪れました。

中世には聖徳太子信仰の霊場として発展。
天正2年(1574年)、織田信長の焼き討ちにより全焼、その後、慶長年間(1596年〜1615年)に、後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が再建。
現在の寺域になったもの。

慶長8年(1603年)、豊臣秀頼再建の聖霊殿(せいりょうでん)、さらに承応元年(1652年)、江戸の豪商・三谷三九郎(みたにさんくろう)が再建の多宝塔は国の重要文化財。

毎年4月11日、12日の『大乗会式』(だいじょうえしき)は「太子まいり」として、境内には露店が並び、多くの参詣者を集めています。
また4月第3土・日曜には『太子聖燈会』(たいししょうとうえ)が行なわれ、1万灯の灯火が聖徳太子の霊廟を包み込みます。
毎月第3日曜(4月、8月、10月、11月は変動あり)には、太子・和みの広場を会場に地域おこしの青空市である『たいし聖徳市』も開催。

聖徳太子ゆかりの「河内三太子」は八尾市太子堂・大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ=下の太子)、羽曳野市野々上・野中寺(やちゅうじ=中の太子)と、ここ叡福寺(上の太子)の3寺。
聖徳太子霊跡の6番にもなっています。

叡福寺

『太子聖燈会』

叡福寺『太子聖燈会』

灯火が境内をほんのりと照らします

叡福寺 DATA

名称 叡福寺/えいふくじ
Eifukuji Temple
所在地 大阪府南河内郡太子町太子2146
関連HP 太子町公式ホームーページ
電車・バスで 近鉄長野線喜志駅から金剛バス上ノ太子行きで太子前駅下車、徒歩すぐ
ドライブで 南阪奈道路太子ICから約3km
駐車場 あり
問い合わせ TEL:0721-98-0019
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

叡福寺北古墳

2018.02.11
 

 

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