西行塚

西行塚

漂泊の歌人といわれた西行は、晩年を現在の大阪府河南町の弘川寺に庵を結び、そこで没しています。弘川寺は再行の籠もった吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ)と同じ、役行者創建と伝わり、空海にもゆかりがあります。西行は空寂上人を慕って訪れ、ここを終の棲家(ついのすみか)にしたのです。境内に西行塚が残されています。

江戸時代に「今西行」と呼ばれた歌僧・似雲が発見!?

後鳥羽上皇が病気になった際に、弘川寺の空寂上人が祈祷したところ、病気が治ったので後鳥羽上皇は来山し、「山深みこのはの下の隠し水なかれの末は滝つ瀬の音」の歌を残しています。
西行はこの空寂上人を慕ってここに庵を結びます。

江戸時代、その西行を慕って「今西行」と呼ばれていた歌僧・似雲が弘川寺を訪れ、西行塚を発見しているのです。

西行
『新古今集』に94首(入撰数第1位)という歌を残す、歌人・西行。
本名(俗名)は佐藤義清(さとうのりきよ)で、出家して法号は円位、のちに西行となっています。
藤原秀郷の末裔という名家の出で、紀伊国那賀郡田中荘(田仲荘)竹房(現在の和歌山県紀の川市竹房)を拠点に活躍した裕福な豪族。
西行も巨額の絹の献納によって兵衛尉という官職に任官し、佐藤家の財力は都にも知られていました。
出家以前は鳥羽院の北面の武士で、武芸に優れて容姿端麗であったと伝わります。
保延6年(1140年)、23歳で出家。
出家後は心のおもむくまま全国を旅し、草庵を営むという漂泊の歌人となります。
吉野山の奥千本に隠棲したことは有名です。

西行塚 DATA

名称 西行塚/さいぎょうづか
Tomb of Saigyo
所在地 大阪府南河内郡河南町弘川43
関連HP 河南町公式ホームページ
電車・バスで 近鉄長野線富田林駅から金剛バス河内行きで30分、終点下車、徒歩5分
ドライブで 南阪奈道路太子ICから約9km
駐車場 弘川寺駐車場(100台/無料)
問い合わせ 弘川寺TEL:0721-93-2814
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

弘川寺

2018.02.03
 

 

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プレスマンユニオン編集部

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