大阪府羽曳野市飛鳥、寺山(てらやま)から南西に伸びる尾根の頂上にある群集墓のひとつが、オーコ8号墳。直径20mの円墳(または方墳)で、見事な横口式石槨(よこぐちしきせっかく)が現存しています。一帯は河内飛鳥と称されるエリアで、7世紀に帰化人がもたらした文化が花開いた地です。
オーコ古墳群の1基で、見事な横口式石槨が開口
横口式石槨は、二上山西麓の寺山(てらやま)付近で産出する石英安山岩の精巧に加工した平らな石材を用いた横口式石槨で、石槨部前にある全長5.56mという長大な前室・羨道(せんどう)、石槨部(長さ1.9m、幅0.75m、高さ0.6m)で構成。
石材の間には貴重な漆喰(しっくい)で塗り固められています。
羨道入口の両側壁の前面は60度の角度で斜めに加工されているため、築造当初には墳丘斜面に沿って露出していたと推測できます。
出土品の特徴から7世紀中葉に築かれた古墳であることがわかっています。
飛鳥時代に造られた終末期古墳のひとつで、周辺にはオーコ8号墳のほか、観音塚古墳、鉢伏山西峰古墳など8基の横口式石槨を有した古墳が築かれています(築造年代では観音塚古墳→オーコ8号墳→鉢伏山西峰古墳の順)。
古墳に近い『延喜式神名帳』記載の古社・飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)は、もともと百済王族・昆支王(こんきおう)を祀った神社で(江戸時代に神仏習合の牛頭天王が祭神に)、一帯にはその子孫である飛鳥戸造(あすかべのみやつこ)が居住していました。
難波と飛鳥の京(みやこ)を結んだ本最古の官道・竹内街道沿いに位置することからも、この地に眠る被葬者が当時の権力者と密接な関係にある人物だと推測できるのです。
7世紀になっても新たな墳墓の造営が許された集団が、この地を拠点としていたことがわかる、貴重な遺構にもなっています。
ちなみにオーコとは、王公(王と身分の高い人)のことで、オーコ古墳群として13基が現存。
オーコ8号墳 | |
名称 | オーコ8号墳/おーこはちごうふん |
所在地 | 大阪府羽曳野市飛鳥979-3 |
関連HP | 羽曳野市公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄上ノ太子駅から徒歩20分 |
ドライブで | 南阪奈道路羽曳野東ICから約1.5km |
問い合わせ | 羽曳野市教育委員会事務局 TEL:072-958-1111/FAX:072-947-3633 |
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