鉢伏山西峰古墳

鉢伏山西峰古墳

大阪府羽曳野市、鉢伏山から西に派生する大阪平野を見渡す尾根上、標高135mに築かれた古墳が、鉢伏山西峰古墳。一辺12mの方墳で、7世紀中葉に築かれた終末期古墳。西方向に開口する見事な横口式石槨(よこぐちしきせっかく)を備えています。

羽曳野市にある終末期古墳で見学が可能

鉢伏山西峰古墳

石英安山岩の岩盤をくり抜いて築いた石槨部(棺が安置する埋葬施設)は、長さ2.7m、幅0.8m、高さ0.7m。
天井部分は別の石材で、接合部に漆喰(しっくい)が用いられています。

石槨部の前方に前室を設け(前室部は露出)、さらに石組の通路である羨道(せんどう)を備え、前室の床には凝灰岩の切石が敷かれていました。
羽曳野市には終末期古墳が数多くありますが、鉢伏山西峰古墳は、整備され見学することが可能。
周辺にはオーコ8号墳、観音塚古墳など8基の横口式石槨を有した古墳が築かれています(築造年代では観音塚古墳→オーコ8号墳→鉢伏山西峰古墳の順)。

古墳に近い『延喜式神名帳』記載の古社・飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)は、もともと百済王族・昆支王(こんきおう)を祀った神社で(江戸時代に神仏習合の牛頭天王が祭神に)、一帯にはその子孫である飛鳥戸造(あすかべのみやつこ)が居住していました。
難波と飛鳥の京(みやこ)を結んだ本最古の官道・竹内街道沿いに位置することからも、この地に眠る被葬者が当時の権力者と密接な関係にある人物だと推測できるのです。

7世紀になっても新たな墳墓の造営が許された集団が、この地を拠点としていたことがわかる、貴重な遺構にもなっています。

鉢伏山西峰古墳
名称 鉢伏山西峰古墳/はちぶせやまにしみねこふん
所在地 大阪府羽曳野市駒ヶ谷917
関連HP 羽曳野市公式ホームページ
ドライブで 南阪奈道路羽曳野東ICから約4km
問い合わせ 羽曳野市教育委員会事務局 TEL:072-958-1111/FAX:072-947-3633
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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