大阪府羽曳野市飛鳥にある古社が、飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)。一帯は河内飛鳥と呼ばれ、7世紀に帰化人が入植し、横口式石棺の古墳などを築いたとされていますが、飛鳥戸神社も百済王族・昆伎王(こんきおう/琨伎王)を祀って、その末裔の飛鳥戸造(あすかべのみやつこ)が創建したと伝えられています。
『延喜式神名帳』には名神大社として記載される古社
拝殿と、小さな本殿のみの神社で、旧社格も村社ですが、平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載の式内社で、しかも名神大社(みょうじんたいしゃ=古来より霊験が著しいとされる神に対する称号が名神で、国家祭祀の『名神祭』の対象となる神々を祀る神社が名神大社)。
『日本書紀』には、昆伎王は、雄略天皇5年(461年)、日本に人質として献上され『三国史記』の百済本紀には百済24代・東城王(とうじょうおう/在位479年〜 501年)の父・昆伎王は、兄の加須利君(蓋鹵王)によって、雄略天皇5年(461年)に日本に遣わされたとあり、『三国史記』の百済本紀には百済で没したとあるので、その子孫や一族が河内に留まったと推測できます。
羽曳野市東部から柏原市南部にかけての地域は、古代の安宿郡(あすかべぐん/安宿郡の式内社は5座)で、飛鳥戸造の一族の本拠地とされています。
羽曳野市東部にある飛鳥千塚古墳群には、竈(かまど)や甑(こしき)などを表したミニチュア炊飯具や金銅製沓(こんどうせいくつ)などが出土し、6世紀〜7世紀に一帯は渡来系氏族の墓域だったと推測されています。
飛鳥戸神社も難波と飛鳥の京(みやこ)を結び、日本最古の官道となった竹内街道(幅20mを越える大道)沿いに鎮座するので、古代には重要な場所だったことがわかります。
現在の祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)ですが、江戸時代に神仏習合の牛頭天王(ごずてんのう=釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神)が祀られ、明治の神仏分離で、神道における素戔嗚命と同体とされて、祭神となったもの。
飛鳥戸神社 | |
名称 | 飛鳥戸神社/あすかべじんじゃ |
所在地 | 大阪府羽曳野市飛鳥1023 |
関連HP | 羽曳野市公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄上ノ太子駅から徒歩10分 |
ドライブで | 南阪奈道路羽曳野東ICから約1.5km |
問い合わせ | 羽曳野市教育委員会事務局 TEL:072-958-1111/FAX:072-947-3633 |
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