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松屋寺

松屋寺

大分県日出町(ひじまち)、JR日豊本線暘谷駅(ようこくえき)から徒歩5分の地にある、曹洞宗(そうとうしゅう)の古刹、松屋寺(しょうおくじ)。もとは奈良時代の養老年間に、天台宗六郷満山寺(ろくごうまんざんじ=国東半島一帯にある天台寺院群)のひとつ、水月堂として建立されたもの。

藩主・木下家の菩提寺で境内には大名墓も

鎌倉時代、北条時頼(ほうじょうときより)が修行したことから、赤山西明寺と称されていたとの伝承もあります。
江戸時代初期の慶長12年(1607年)、日出藩の初代藩主・木下延俊(きのしたのぶとし) が、祖母・朝日局(あさひのつぼね=豊臣秀吉の正室・北政所の生母、戒名は康徳寺殿松屋妙貞大姉)と妻・加賀(細川幽斎の娘)。の菩提を弔うため堂宇を修復、名をその法名にちなみ康徳山松屋寺(しょうおくじ)と改め木下家の菩提寺にしています。

境内には、歴代藩主らが眠る木下家墓所(大名墓所)があり、本堂の前には「日本一の大ソテツ」といわれる「松屋寺の蘇鉄」が茂っています。
日出藩歴代藩主のうち、神葬された13代・16代を除き、大名墓はこの松屋寺にあります(13代・16代は東京・青山霊園の墓所に葬られています)。

大ソテツはもともとは豊後府内城(大分城)に植栽されていたソテツで、明暦3年(1657年)、2代藩主・木下俊治(きのしたとしはる)が府内城番交代で帰城の際、死馬と称して大ソテツを筵(むしろ)に包み、持ち帰ったといわれています。
もともとはキリシタン大名として知られる大友宗麟(おおともよししげ)が南蛮貿易で取り寄せ、大友氏の館に植えたもので、福原直高の府内城築城で城内に移されていました。
木下俊治は、シチトウ(七島藺)を薩摩藩から取り寄せ、国産化を図るなど、植物に注目していた藩主で大ソテツをこっそりと持ち帰ったのだと推測できます。
推定樹齢700年との古木で、高さ6.4m、幹周り4.5m、国の天然記念物にも指定。

秘宝殿には鎌倉時代の作と伝わる絹本着色涅槃図(ねはんず)をはじめ、木下家所蔵の書画や遺物などの寺宝を多数収蔵。
また本堂裏庭は雪舟の造園とも伝わります。

名称 松屋寺/しょうおくじ
所在地 大分県速見郡日出町1921
関連HP ひじ町ツーリズム協会公式ホームページ
電車・バスで JR日豊本線暘谷駅から徒歩10分
ドライブで 大分空港道路日出ICから約2.5km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 松屋寺 TEL:0977-72-2561
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日出城(暘谷城)

大分県日出町(ひじまち)、北側から別府湾に突き出した南端の台地に築かれた平山城が日出城(ひじじょう)。慶長7年(1602年)、初代藩主・木下延俊(きのしたのぶとし)が築いたもので、3代藩主・木下俊長が中国古書『淮南子』より引用し名付けた「暘

 

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