大分県豊後大野市朝地町にある彫刻家・朝倉文夫(あさくらふみお)のミュージアムが朝倉文夫記念館。明治40年、東京美術学校(現・東京芸術大学)を首席で卒業した朝倉文夫は、その後彫刻家として活躍、のちに「東洋のロダン」と称されるようになりました。
代表作『墓守』などを収蔵展示
朝倉文夫記念館の館内には彼の代表作『墓守』(明治43年・27歳)、『進化』(明治40年)、『時の流れ』(大正6年)、『三相』(昭和25年)をはじめ、こよなく愛した猫などの作品、ゆかりの品々を収蔵展示しています。
「自然主義的写実主義」といわれる作風を確立した朝倉文夫の作品には、素人にもわかりやすく、敷居の低い美術館にもなっています。
1階の第1展示室には初期の作品、肖像彫刻を、2階の第2展示室に女性像、第3展示室に猫などの動物像、第4展示室に男性像と、4つのテーマに大別して展示。
日本近代彫刻の基礎を築いた朝倉文夫の偉業を伝える貴重な施設で、記念館としては東京でのアトリエと住居だった建物を再生した台東区立朝倉彫塑館と朝倉文夫記念館の2ヶ所あります。
また一帯16haは「愛の園生 朝倉文夫記念公園」として公園化。
実はこの公園、昭和36年、朝倉文夫自身が作風を確立するうえで大きな影響を与えた、故郷の美しい自然の中に作品を展示保存することを目的に、自費を投じて用地の購入、造成に取り掛かったもので、「愛の園生」(あいのそのう)という名も朝倉文夫の命名。
志半ばで病没し、建設計画も中断、土地は朝地町(当時)に寄贈され、平成3年3月28日にようやく開園したもの。
広大な園内には、梅園、しょうぶ園、紅葉の森、水車小屋、野鳥・昆虫の森などが点在、梅の名所にもなっています。
また、『大分アジア彫刻展』の入賞作品も展示。
「東洋のロダン」と呼ばれた彫刻家・朝倉文夫
明治16年3月1日、大分県大野郡上井田村(現・豊後大野市朝地町)に上井田村長・渡辺要蔵の三男として生誕。
9歳のとき養子として朝倉種彦の養子となって朝倉宗家を継ぎ、尋常小学校を卒業。
19歳のとき大分尋常中学校竹田分校(三度落第)を中退、新進気鋭の彫刻家として活躍する9歳年上の兄・渡辺長男(わたなべおさお=東京美術学校卒業、明治30年「青年彫塑会」を結成)を頼って上京、明治36年、東京美術学校彫刻選科に入学しています。
昭和39年4月18日、急性骨髄性白血症にて没。
台東区の谷中銀座近くに台東区立朝倉彫塑館があるほか、静岡県御殿場市の秩父宮記念公園に「秩父宮殿下登山像」(昭和3年)、大分市の遊歩公園に「瀧廉太郎君像」(昭和25年)、東京国際フォーラムに「太田道灌像」(昭和27年)、上野駅グランドコンコースに特急「はつかり」運転開始記念として設置された『翼の像』(昭和28年)、憲政記念館に「尾崎行雄像」(昭和34年)などが設置されています。
『東洋蘭の作り方』を著作し、朝倉彫塑館の屋上菜園で野菜を育てるなど、自然との触れ合いを芸術の基本概念としていたため、彫塑作品の野外展示にも積極的でした。
朝倉文夫記念館 | |
名称 | 朝倉文夫記念館/あさくらふみおきねんかん |
所在地 | 大分県豊後大野市朝地町池田1587-11 |
関連HP | 朝倉文夫記念館公式ホームページ |
電車・バスで | JR朝地駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 中九州横断道路大野IC、または、朝地ICから約7km。東九州自動車道大分ICから約35km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 朝倉文夫記念館 TEL:0974-72-1300/FAX:0974-72-1302 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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