柴田さんの柴とは雑木のことで、「柴(木々の中)にある田」という地形由来の姓。柴犬の柴は、小さいと意味する「シバ」という古語なので、棚田の小さい田という意味もあったのかもしれない。歴史に残る柴田さんのなかでもっとも有名なのが、戦国武将の柴田勝家。三谷幸喜監督の映画『清須会議』では役所広司が演じている。
まずは戦国大名・柴田勝家ゆかりの地へ
柴田勝家のイメージは、残された『柴田勝家像』などを見ると、必ずしも二枚目ではない。
大河ドラマを見てみると『利家とまつ』では松平健、『功名が辻』では勝野洋が、『天地人』では菅田俊が演じている。
だからといっていい男かどうか分かるはずでもないが、勝家は「鬼柴田」と呼ばれていた人物なのだから華奢なはずはあるまい。
そんな柴田勝家だが、清須会議で諸将の承諾を得て、勝家は信長の妹・お市の方と結婚。
──まずは、柴田勝家とお市の方の最後の城で、かつては安土城の七層をしのぐ九層の天守閣を持つ城だったという北の庄城跡(福井市中央1丁目)へ出かけてみよう。
柴田勝家築城の北の庄城は、天正3年(1575年)、足羽川と吉野川の合流地点に築城、天正11年(1583年)、羽柴秀吉軍によって攻められ落城・炎上し、勝家とお市はとともに自刃する。
現在の柴田神社のあたりが本丸と考えられていて、福井城がその上に築城されている。
福井にある柴田勝家関連の史跡は、柴田神社と墓のある西光寺(福井市左内町)、そして九十九橋だろうか。
柴田神社境内には柴田勝家の銅像とお市の方の銅像が建ち、境内社の三姉妹神社にはお市の方の三人の娘、茶々・初・江を祀っている。
また、西光寺は柴田勝家とお市の方の菩提寺で、一族の墓や、柴田公資料館があって遺品などが展示されている。
北の庄城址公園(柴田公園)に復元されている九十九橋の欄干の一部は勝家時代のもの。
──この柴田勝家は越後国新発田に起こった斯波(しばし)流足利氏の末裔とも、清和源氏の庶流が尾張国愛知郡柴田を領したことから始まったとかいう。
柴田勝家は、尾張国愛知郡上社村(現:愛知県名古屋市名東区)の出自。
下社城址(明徳寺/愛知県名古屋市名東区陸前町)には、柴田勝家誕生地の碑が立っている。
──柴田氏は陸奥国柴田郡に起こった阿部氏族の柴田君を嚆矢(こうし=ルーツ)とする。
奥州芝田氏は柴田君の末とされる。
その後、秀郷流の柴田氏が常陸・下野・武蔵などに起こり、さらに、清和源氏の柴田氏が遠江・三河・尾張に起こった。
越後には佐々木氏流の柴田氏が、美作には源姓の柴田氏が、豊後には橘姓の柴田氏がいる。
岡崎市大平町中天に大平柴田氏城跡があり、宮城県柴田郡柴田町船岡に柴田城跡がある。
宮城県柴田町の柴田城は船岡の地西方に位置する四保山に位置し、柴田城跡は現在、船岡城址公園として桜の名所となっている。また、五千石という大身で伊達騒動に登場する柴田外記(しばたげき)も柴田町船岡に住んでいたといわれ、柴田氏の菩提寺である大光寺や山本周五郎が伊達騒動を描いた『樅の木は残った』に登場する「麹屋」などが当時の繁栄を伝えてくれる。
さらに、敦賀市市野々町の柴田氏庭園は、江戸時代の敦賀の豪農・柴田権右衛門が造った築山回遊式林泉庭園で、甘棠園(かんとうえん)とも呼ばれている。
柴田姓は、秋田(大姓17位)、愛知(21位)、福岡(29位)に多い。新潟には、新発田姓が見える。
また、近畿地方では芝田姓もかなり見られるようだ。
有名人でいえば、柴田恭兵は静岡県清水市(現・静岡県静岡市清水区)、柴田理恵は富山県婦負郡八尾町(現・富山県富山市)の出身。
お笑い芸人アンタッチャブルのツッコミ担当・柴田英嗣(しばたひでつぐ)も静岡県清水市(現・静岡県静岡市清水区)。
静岡県の柴田さんは、遠江国磐田郡に中世の豪族・柴田氏がいるので、その末裔か。
柴田勝家に代表される柴田氏の家紋は、二つ雁金(かりがね)と木瓜(ぼけ)。
他に柴田藤などの藤紋や橘、三つ柏、抱き茗荷、違い鷹の羽、蔓(つる)、柏、隅立て四つ目、片喰(かたばみ)や剣片喰など。
協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
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