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石塔寺

石塔寺

滋賀県東近江市石塔町にある天台宗の古刹、石塔寺(いしどうじ)。湖東に多い聖徳太子の創建と伝わる寺のひとつ。境内には3万基ともいわれる石仏や石塔が並び独特の雰囲気を醸し出しています。高さ7.5mの巨大な三重石塔(阿育王塔・あしょかおうとう)は飛鳥時代のものと推定され、国の重要文化財に指定されています。

日本最古・最大の三重石塔は百済人が建立!?

花崗岩でできた阿育王塔は、インドのアショカ大王(阿育大王)が仏教の興隆を願い世界へ配った仏舎利塔とも、百済からの渡来人が立てたものともいわれ、日本最古・最大の三重石塔。
石塔寺の山号の阿育王山(あしょかおうざん)も、もちろんこのアショカ大王に由来しています。

寺伝によれば、釈迦入減(しゃかにゅうめつ)後100年、阿育大王がインドを統治した際、仏法の興隆を願って8万40000の塔婆(とうば)を造り、それに仏舎利(ぶっしゃり)を納めて三千世界に撒布、長保3年(1003年)に唐に留学した比叡山の僧・寂照法師が、2基が日本に飛来し、1基は琵琶湖の湖中に沈み、1基は近江国渡来山(わたらいやま)の土中にあると聞き、掘り出した石塔がこの阿育王塔とのこと。

ただし、阿育大王説はあくまで後世の創作で、石塔は、奈良時代前期(7世紀)のもので、インドの石塔というよりも朝鮮半島の石塔に近いため、百済系の渡来人によって建立された可能性が大。

一帯は、天智天皇が猟をした蒲生野(がもうの)で、『日本書紀』にも天智2年8月(663年10月)の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい=朝鮮半島の白村江で行なわれた百済復興を目指す倭・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との間の戦争)以降に、百済(くだら)から700人余の人々が移り住んできたことが記されています。
蒲生野には、白村江の戦いの敗北で、鬼室集斯(きしつしゅうし)ら、多くの百済人が移住、百済の都があった韓国の扶余(ブヨ)に、よく似た石塔があることから、そんな亡命百済人が建てた石塔ということに。

三重石塔の周囲の石塔は、鎌倉時代以降に奉納されたもの。
戦国時代に織田信長軍の戦火で、諸堂を失い、江戸時代に天海大僧正の命で一部復興していますが、石塔群が往時の繁栄をしのばせています。

平成2年には、この石塔の取り持つ縁で韓国・扶余郡場岩面(プヨグンチャンアムミョン/面は日本の町に当たる行政単位)との国際交流が始まり、石塔寺の参道一帯は、平成17年に国際交流と自然をテーマにした石塔交流公園として整備されています。

石塔寺
名称 石塔寺/いしどうじ
所在地 滋賀県東近江市石塔町860
関連HP 東近江市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 近江鉄道桜川駅から徒歩30分
ドライブで 名神高速道路蒲生スマートIC、八日市ICから約6km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 石塔寺 TEL:0748-55-0213
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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