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国友鉄砲の里資料館

国友鉄砲の里資料館

鉄砲が伝来したといわれる年の翌年、天文13年(1544年)にはすでに国産鉄砲の生産に着手していたという近江国坂田郡国友村(現在の滋賀県長浜市国友町)。戦国時代、信長、秀吉、家康の天下取りを支え、堺と競った鉄砲生産の歴史を今に伝えるミュージアムが国友鉄砲の里資料館です。

まずは種子島伝来以降の国産鉄砲の歴史を知ろう

蔵造りの外観
鉄砲の製造工程

天正元年(1573年)、小谷城が落城し浅井家が滅亡すると、国友村は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の庇護を受け、江戸時代には幕府直轄の日本最大の鉄砲生産地帯となります。

天正3年(1575年)に織田・徳川連合軍と武田軍が激突した長篠の合戦で使われた鉄砲3000挺のうち500挺は、信長から受注を受けた国友鉄砲が使われているのです。

また徳川家康は江戸幕府を開くと、国友村に大量に大筒などを発注、「大坂冬の陣」では国友の大筒が、「大坂夏の陣」では中筒・小筒が使用され勝利に貢献しています。

慶長16年(1611年)、国友村の鉄砲鍛冶たちは「国友惣鍛冶御定の事」を定めて、結束を強め、分業制を敷いて大量の受注に備えています。
この江戸時代初期までが国友鍛冶の最盛期で、太平の世になると、金工彫刻、花火などに活路を見出していきます。

江戸時代の後期には「東洋のエジソン」とも称された科学者・國友藤兵衛一貫斎が自作の望遠鏡で日本で初めて天体観測を行ない、国友は日本の天文学発祥の地にもなっているのです。

資料館館内では戦国乱世を支えた国友村を詳細に解説

国友鉄砲の里資料館では国友鉄砲の歴史はもちろん、鉄砲鍛冶(かじ)の作業風景、鉄砲のできるまで、長さ149cmの大筒をはじめとする各種国友鉄砲の紹介などを行なっています。

常設展示は、鉄砲伝来を伝える「海を渡ってきた文化」、信長、秀吉、家康が合戦に活用した「天下人の戦い」、分業制度で鉄砲を完成させた「国友鉄砲鍛冶」、口径によって区分される「国友鉄砲のいろいろ」、たたら製鉄の鉄を利用した「鉄砲のできるまで」、東洋のエジソン・国友一貫斎を紹介する「国友が生んだ科学者・文化人」の6テーマに分けて解説されています。

鉄砲の最盛期には、国友には70軒の鍛冶屋と500人を越す職人がいたといい、湖北の小さな町が戦国時代に生きる武将の命運を握った軍事産業の町であったことを学ぶことができます。

国友鉄砲の里資料館
名称 国友鉄砲の里資料館/くにともてっぽうのさとしりょうかん
所在地 滋賀県長浜市国友町534
関連HP 国友鉄砲の里資料館公式ホームページ
電車・バスで JR長浜駅から近江鉄道バス長浜養護学校行きで15分、資料館前下車、すぐ
ドライブで 北陸自動車道長浜ICから約1.5km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 国友鉄砲の里資料館 TEL:0749-62-1250/FAX:0749-62-1250
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

【知られざるニッポン】vol.41 戦国時代に活躍した、国友の鉄砲

2019年4月17日

 

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