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八日市飛行場掩体壕(布引掩体群)

八日市飛行場掩体壕(布引掩体群)

滋賀県東近江市、東近江市の中央に位置する沖野ヶ原(東近江市総合運動公園周辺)には、第二次世界大戦中、陸軍八日市飛行場がありましたが、その飛行機を頑強なコンクリート造りのシェルターで守ったのが掩体壕(えんたいごう)。八日市飛行場跡地周辺には、掩体壕17基が現存し、布引掩体群と呼ばれています。

三船敏郎が配属された飛行場の掩体壕が現存!

大正11年に全国で3番目の陸軍飛行場として航空第三大隊が配備された八日市飛行場。
戦時中は、戦後に映画スターとなった三船敏郎(みふねとしろう)が写真工手(偵察機が赤外線カメラで撮影した航空写真を組み合わせ、敵地の地図を作成)として配属され、上等兵として炊事の責任者をしていた飛行場です。

布引掩体群は昭和19年から20年の戦争末期に、本土決戦に備えて作られたもので、貴重な飛行機をアメリカ軍の空襲から守るための飛行機用シェルター。
平成12年、「皇子山を守る会」の調査でその全貌が明らかになり、滋賀県で唯一現存する貴重な掩体壕群ということが判明しています。
八日市飛行場の南に位置する布引丘陵の北側裾部、長さ2kmにわたって、1号掩体壕から17号掩体壕まで17基が並んでいます。
以前は、飛行場の東側、名神高速道路八日市IC近くにもあったとされていますが、現存していません。
多くは土製ですが、4号掩体壕、7号掩体壕などはコンクリート製で、姿を留めています。

東近江市総合運動公園の布引グリーンスタジアム (布引陸上競技場)を目印に、東近江市総合運動公園第2駐車場側から徒歩で森林内を北東へ進めば掩体壕群(1号〜5号)があります。
ただし掩体壕が崖を利用して築かれ、北側が入口なので、見学には北側に回り込む必要があります。
平成24年にはコンクリート製の大型掩体壕2基のうち1基の天井の一部が崩落するなど、近寄るのは危険です。

滋賀県にあった八日市飛行場とは!?

八日市飛行場は、フランスの飛行学校に私費留学した荻田常三郎(おぎたつねさぶろう=日本の民間飛行家の先駆け)がフランスの最新機モラーヌ・ソルニエ G型機を購入、故郷(現・愛知郡愛荘町島川出身)の人々にも飛行機を見せようと、京都からの飛行計画を立案し、臨時の滑走路と定めたのが、沖野ヶ原です。
大正3年10月21日〜10月22日に沖野ヶ原の一部を整地した臨時飛行場で、見事にフライトを実現しましたが、大正4年(1915年)1月3日、京都深草錬兵場から離陸直後にエンジントラブルで墜落し、帰らぬ人になっています。
その後、荻田常三郎の遺志を継いで、民間飛行場として開設されたのが八日市飛行場です。

八日市飛行場掩体壕(布引掩体群)
名称 八日市飛行場掩体壕(布引掩体群)/ようかいちひこうじょうえんたいごう(ぬのびきえんたいごう)
所在地 滋賀県東近江市尻無町・下二俣町・柴原南町・芝原町
関連HP 東近江市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 近江鉄道大学駅前から徒歩20分
ドライブで 名神高速道路蒲生ICから約5km
駐車場 東近江市総合運動公園駐車場を利用(第2駐車場が便利)
問い合わせ 東近江市観光協会 TEL:0748-29-3920
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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