滋賀県大津市、琵琶湖の南岸、茶臼山(ちゃうすやま/155m)の中腹にある前方後円墳が、茶臼山古墳。墳丘長122mで、安土瓢箪山古墳(近江八幡市)、荒神山古墳(彦根市)に次ぐ、滋賀県第3位の規模を誇る巨大古墳です。4世紀末から5世紀初頭(古墳時代中期)頃の築造で、国の史跡に指定されています。
琵琶湖の水運を支配した王族の墓
墳形は、兵庫県神戸市の五色塚古墳(墳丘長194m)、三重県伊賀市の御墓山古墳(みはかやまこふん/188m)、大阪府岸和田市の摩湯山古墳(まゆやまこふん/200m)とともに、奈良市の佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん/4世紀末頃、207m)と相似形の佐紀陵山型古墳(上空から見ると鍵穴形)で、ヤマト王権と密接な結び付き、そしてヤマト王権的な支配が周辺域にも広がっていたことがわかります。
現在は埋立てなどで琵琶湖から離れていましたが、築造時には湖に近接した場所、音羽山から派生する尾根の先端部に築かれています(古代の陸上交通、湖上交通、軍事上の要衝)。
墳丘長122m、後円部径70m、前方部の高さ8.5m、前方部の長さ60m、前方部の幅22.5mの巨大な前方後円墳で、湖南地方では最大の古墳。
墳丘全面には葺石(ふきいし)が敷かれ、段丘上に円筒埴輪(えんとうはにわ)が巡らされ、後円部頂上からは形象埴輪(けいしょうはにわ)が出土していますが、埋葬施設は不明です。
茶臼山古墳の被葬者は、彦坐王(ひこいますおう=四道将軍のひとり・丹波道主命の父)とも大友皇子一族の墓ともいわれますが、被葬者については明らかではありません。
一帯は、茶臼山公園として整備され、古墳東部に火除の神様としての秋葉神社(あきばじんじゃ)が祀られています。
後円部に築かれた塚は、壬申の乱に敗れた大友皇子の墓!?
茶臼山の後円部には、天智天皇が近江大津京で46歳で崩御した後に起こった、後継者争い・壬申の乱(じんしんのらん)の遺構(葬り塚)も。
弘文天皇元年(672年)、天智天皇 (てんじてんのう)の弟・大海人皇子 (おおあまのおうじ/後の天武天皇)が、天智の子である大友皇子(弘文天皇)を首長とする近江朝廷(当時、近江大津京が都でした)に対して起こした古代最大の内乱が壬申の乱ですが、近江朝廷軍が敗北し、大友皇子は小茶臼山で没し、大友皇子とその子たちを葬った5つの塚が築かれたと伝えられています(近江朝廷は滅亡し、飛鳥に遷都)。
茶臼山古墳 | |
名称 | 茶臼山古墳/ちゃうすやまこふん |
所在地 | 滋賀県大津市秋葉台35 |
関連HP | 大津市公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪電鉄膳所本町駅から徒歩15分 |
ドライブで | 名神高速道路大津ICから約3km |
駐車場 | 茶臼山公園駐車場(20台/無料) |
問い合わせ | 大津市歴史博物館 TEL:077-521-2100 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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