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依智秦氏の里古墳公園(上蚊野古墳群)

依智秦氏の里古墳公園(上蚊野古墳群)

滋賀県愛知郡愛荘町(あいしょうちょう)、名神高速道路・湖東三山PA(湖東三山スマートIC)の南側に整備される史跡公園のが、依智秦氏の里古墳公園(えちはたうじのさとこふんこうえん)。古代の渡来系氏族・依智秦氏が築いたとされる上蚊野古墳群(かみがのこふんぐん)を保存整備した公園です。

渡来系氏族・依智秦氏えちはたうじ)が造営した古墳

湖東平野を流れ、琵琶湖に注ぐ宇曽川の扇状地の扇頂部には、上蚊野古墳群、平柳古墳群(東近江市平柳町)という古墳時代後期の群集墓が構築されています。
古墳時代後期に、渡来系氏族・依智秦氏(えちはたうじ)が入植し、それをきっかけに湖東一帯が開発され、古墳群を造営したと推測されています。

近江国は大和国、河内国に続いて古代寺院跡が多く存在しますが、旧愛知郡は近江の中でもとくに密集したエリア。
天智2年8月(663年10月)、朝鮮半島での白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)の後に建てられた古代寺院が多く、渡来系氏族の依知秦氏と関係の深い寺院も存在することから、亡命した百済系の氏族が湖東エリアに定住したと推測できます。
律令制の開始とともに依智秦氏は、愛知郡(えちぐん)で重要な地位を占めてもいるのです。

上蚊野古墳群は、「近江における渡来系氏族」を立証する貴重な遺構のひとつで、平柳古墳群とともに湖東地域の群集墓として滋賀県の史跡に指定されています。

上蚊野古墳群は102基(蚊野外古墳群の196基とあわせ、金剛寺野古墳群と総称)ありましたが、現存するのはわずかに10基。
昭和51年〜昭和52年に行なわれた圃場(ほじょう)整備事業で、保存が決まり、8基の古墳の発掘調査が実施されています。
発掘調査の結果、6世紀中頃から7世紀初めにかけて築かれたもので、比較的に大型の古墳は横穴式石室、小型のたぬき塚などは竪穴系横口式石室を備えていることが判明しています。

依智秦氏の里古墳公園内にある百塚古墳(1号墳)は、直径24m、高さ5.4mと上蚊野古墳群で最大規模の円墳。
こうもり塚(3号墳)とともに横穴式石室が現存し、見学が可能です。

画像協力/(公社)びわこビジターズビューロー

依智秦氏の里古墳公園(上蚊野古墳群)
名称 依智秦氏の里古墳公園(上蚊野古墳群)/えちはたうじのさとこふんこうえん(かみがのこふんぐん)
所在地 滋賀県愛知郡愛荘町上蚊野72-3
関連HP 愛荘町公式ホームページ
ドライブで 名神高速道路湖東三山スマートICから約1km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 愛荘町商工観光課 TEL:0749-37-8057/FAX:0749-37-4444
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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