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滋賀院門跡

滋賀院門跡

滋賀県大津市坂本4丁目、ケーブル坂本駅の東側にあるのが、滋賀院門跡。比叡山延暦寺の本坊(総里坊)で、明治維新に至るまで天台座主(てんだいざす)となった皇族代々の居所(門跡寺院)だったため高い格式を誇り、小堀遠州作と伝わる庭園(国の名勝)、ひときわ高い穴太積み(あのうづみ)の石垣も見事です。

小堀遠州作と伝わる庭園(国の名勝)

穴太積みの石垣の上に白壁の塀が続く

天海僧正が比叡山延暦寺の麓、坂本に創建した寺。
京の北白川にあった法勝寺(ほうしょうじ)の建物を、後水尾上皇(ごみずのおじょうこう/天皇の権威を失墜させる徳川秀忠など徳川幕府の行ないに耐えかねて譲位し、院政を実施)から下賜され、元和元年(1615年)、坂本に移築、その後、滋賀院の号をも賜っています。

門跡とは、皇族・公家が住職を務める寺院のこと。
明治4年まで、天台座主は太政官による任命する公的な役職で、良尚入道親王(りょうしょうにゅうどうしんのう)は、寛永9年(1632年)、後水尾天皇の猶子となり、正保3年(1646年)、天台座主に。
後水尾天皇第3皇子・尊敬法親王は、明暦元年(1655年)、天台座主に就任しています。

天台座主としての権威と見事な伽藍から滋賀院御殿とも称されましたが、往時の建物は明治11年に火災で焼失。
現存する建物は、比叡山東塔・無動寺谷の法曼院(ほうまんいん=比叡山での回峰行最大の難行「堂入り」=最後の食事を取る「斎食」の儀の後、断食、断水、不眠、不臥の9日間を行なう場所)から移築したものです。

広大な境内は、内仏殿、宸殿、書院、庫裏(くり)、土蔵などが建ち並び、比叡山延暦寺の本坊(総里坊)であることがよくわかります。
書院には、江戸時代初めの狩野派の障壁画(しょうへきが)も描かれ、織田信長が寄進した大磬子(だいきんす)、天台座主の乗った長棒などが現存。

宸殿の西側の庭園は小堀遠州(こぼりえんしゅう=小堀政一)作という伝承のある庭で、宸殿の縁側から鑑賞することができます。
小堀遠州は、元和5年(1619年)、近江小室藩(現・滋賀県長浜市小室町にあった藩)に移封され、さらに元和8年(1622年)に近江国奉行に就任しているので、遠州作という可能性は大。
滋賀院門跡にある不滅の法灯は、西塔の釈迦堂から分灯されたもの。

画像協力/大津市

琵琶湖越しに近江富士(三上山)を眺望
滋賀院門跡
名称 滋賀院門跡/しがいんもんぜき
所在地 滋賀県大津市坂本4-6-1
電車・バスで JR比叡山坂本駅から徒歩15分、または京阪坂本駅から徒歩7分
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約11km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 滋賀院門跡 TEL:077-578-0130
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日吉大社

滋賀県大津市坂本にある日吉大社(ひよしたいしゃ)は、神仏習合時代から山王権現と呼ばれ、神代の昔から比叡山に鎮座する地主神(じぬしがみ)として、全国3800社余りある日吉神社、日枝神社、山王神社の総本宮。現存する社殿の大部分が室町時代後期から

大津市坂本伝統的建造物群保存地区

滋賀県大津市、比叡山延暦寺と日吉大社の門前町として栄えた坂本は、延暦寺創建の平安時代から、山側の上坂本が門前町、湖畔の下坂本が琵琶湖舟運の荷揚げ港として発展。約50ヶ寺の「里坊」と、穴太積み(あのうづみ)の石垣が独特の景観を作り出し、門前町

旧竹林院

比叡山延暦寺の表坂登山口、そして日吉大社の門前町として繁栄した坂本には延暦寺僧侶の隠居所「里坊」も多数残されていますが、そのひとつが旧竹林院で、庭園は八王子山を借景とし、築山を配し大宮川を曲水として巡らせた見事なもの。80ヶ所を超える数の里

 

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