新春、日本全国で行なわれる七福神めぐり。そもそも七福神とはいったい何なのか? 七福神という7つの神様のうち、日本の神様は実はひとり。残りは、インド(古代インド)と中国の神様なのです。弁才天なのか、はたまた弁財天なのかと、謎も多い七福神。そんな七福神を徹底紹介しましょう。
布袋尊 ほていそん/中国・仏教ルーツ
唐代末から五代時代にかけて明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な僧、契此(かいし)のこと。
常に袋(頭陀袋/ずたぶくろ)を背負っていたことから布袋という俗称が生まれたのです。
七福神の中では唯一、実在した「神様」。
布袋は死の間際に、「彌勒真彌勒 分身千百億(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)、時時示時分 時人自不識(時時に時人に示すも時人は自ら識らず)」(『「景徳傳燈録」』)という偈文を遺したことから(自分は弥勒菩薩の化身であると読み取れることから)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身なのだという伝説が生まれました。
そのため、中世以降、中国では太鼓腹の弥勒仏の姿が描かれるように。
七福神信仰発祥の地といわれる京都、『都七福神』の布袋尊を祀る黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)は、今も中国語でお経を上げるという中国風の寺院ですが、その布袋尊は実は弥勒菩薩像なのです。
江戸時代初期には布袋ではなく、稲荷神を七福神に加える場合もあったとか。
寿老人 じゅろうじん/中国・道教ルーツ
寿老人は、中国・宋代、元祐年間(1086年~1093年)伝説上の人物(南極老人=道教の神)。
道教の星辰崇拝(せいしんすうはい=太陽・月・星を、神秘的な力をもつものとして崇拝する思想)に由来する南極老人星(カノープス=Canopus/りゅうこつ座α星)の化身。
中国古代の四大民間伝説『白蛇伝』、中国明代に大成した伝奇小説『西遊記』、明代に成立した神怪小説『封神演義』などに神仙として登場しています。
禅宗伝来後に水墨画の画材などとして日本に伝来し、福徳施与の神として信仰されるように。
福禄寿はこの寿老人と同一神なので、吉祥天が代わりに七福神に加えられることもありました。
福禄寿 ふくろくじゅ/中国・道教ルーツ
道教における福星・禄星・寿星の三星を神格化したもの。
つまりは福、禄、寿という3人の仙人(三福神)のこと。
道教で強く希求されるのが福(幸福)、禄(富貴)と寿(長寿)なのです。
中国の春節には福・禄・寿を描いた「三星図」(福禄寿三星図)を飾り供物を奉げ、1年間の幸せを祈願する風習があります。
日本では福禄寿は一人なのですが、本来の姿は3人だったのです。
福星は木星のこと。
禄星は、北斗七星の魁(かい)と桝(ます)の部分の上方にある星座「文昌宮六星」のなかの第6星といわれています。
三星のうち寿星は南極老人星(カノープス=Canopus/りゅうこつ座α星)なので、寿星が単独で伝わったものが寿老人、三星一体が福禄寿ということに。
大黒天 だいこくてん/インド・ヒンドゥー教
大黒天は、ヒンドゥー教のシヴァ神がルーツ。
シヴァ神の化身で、ヒンドゥー、仏教、シーク教に共通の神であるマハーカーラは、インド密教、チベット仏教に取り入れられ、その後、中国密教(唐密)と空海が伝えた日本の真言密教では護法善神とされています。
マハーカーラの「マハー」は、大いなる・偉大なるを表し、「カーラ」は暗黒などの意。
漢訳すれば大黒天となるのです。
日本には密教の伝来とともに伝わり、仏教の守護神とされました。
天台宗では、比叡山延暦寺を開いた最澄が毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒天を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀っています。
毘沙門天 びしゃもんてん/インド・ヒンドゥー教
毘沙門天は、インド神話のヴァイシュラヴァナを前身とし、ヒンドゥー教にはおいてはクベーラ。
毘沙門は、ヴァイシュラヴァナを中国で音写したもので、「よく聞く」とも解釈されるため、多聞天とも訳されています。
古代のインドでは財宝神でしたが、中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)の一尊、武神・守護神になりました。
四天王の一尊としては多聞天ですが、単独で安置される場合には毘沙門天となります。
弁才天(弁財天) べんざいてん/インド・ヒンドゥー教
弁才天は、弁財天と記される場合も多いのですが、実は意味が大きく異なります。
そのルーツは、ヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーで、ヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャクの上に座っています。
サンスクリットでサラスヴァティーとは「水を持つもの」の意で、水と豊穣の女神。
中国に弁才天として伝わったものが、仏教伝来時に経典の一つ『金光明経』(こんこうみょうきょう)とともに日本に伝わりました。
聖武天皇(しょうむてんのう)は『金光明最勝王経』を写経し、天平13年(741年)には諸国に金光明四天王護国之寺を建立します(国分寺の塔には金字の『金光明最勝王経』を安置しました)。
実は、この『金光明経』には、この経典を読誦する国(国王)は、四天王に守られ繁栄すると記されていることから鎮護国家の経典になったのです。
さらに『金光明経』では弁才天と四天王を称賛していることから、弁才天信仰が生まれています。
日本の八百万(やおよろず)の神々は、実は様々な仏や菩薩の化身だという神仏習合の本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が隆盛すると、弁才天は日本神話に登場する宗像三女神の一柱・市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されるように。
神社で弁才天・弁財天が祀られるのはそのため。
日本三大弁天とされる広島県の厳島神社・大願寺、神奈川県の江島神社、滋賀県の都久夫須麻神社(竹生島神社・宝厳寺)ではいずれも市杵嶋姫命と弁才天の神仏習合です。
さてさて、琵琶を手にして芸能上達などの才能アップにご利益大の弁才天なのか、はたまた財力アップの弁財天なのかは、サラスヴァティーの漢訳は弁才天(辨才天)なので、本来は才能アップのはず。
日本では財宝神としての注目され、弁財天(辨財天)とも記されるようになったのです。
恵比寿 えびす/日本・漁業神など
実はもっとも難解なのが、唯一の日本土着の神である、恵比寿神。
夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須など表記もいろいろあるのは、実はルーツが多様だから(ここでは便宜的に恵比寿と表記します)。
平安時代から鎌倉時代(神仏習合)、本地仏を毘沙門天や不動明王とし、どちらかといえばパワフルな神様で、現在の福の神というイメージはありません。
平安時代末期に市場の神(市神)として祀られ初め、中世に商売繁盛の神として信仰されるようになりました。
しかも『日本書紀』、『古事記』には登場しないため、記紀にあてはまる神が蛭子(ひるこ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)なのかが定まっていません。
国譲り神話に登場の事代主神が釣り好きだということで、海神、漁業神である恵比寿と結びついて、話は複雑に。
つまり、恵比寿神を祀る神社でも祭神が異なるのはこのため。
神仏分離の明治初年に、寺に祀られていた恵比寿神を神社に遷す際にも、どの神にするかという問題が生じています。
恵比寿神を「日本の神道がルーツ」などとするのは大きな間違いなのです(そんな記述の「おまとめサイト」が多いので注意が必要)。
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