江戸時代から明治時代には日本の物流は日本海側がメインでした。日本海最大の都市、新潟市(新潟港)と東京を結ぶ鉄道の敷設は、念願の路線でしたが、上越国境に谷川岳・三国峠が立ちふさがり、長野回りで新潟を結びました。それが信越本線ですが、北陸新幹線の開業で、とぎれとぎれに。
北陸新幹線の開業で3区間にぶつ切れ!
中山道で軽井沢まで、さらに北国街道(善光寺街道)、北陸道で新潟を目指した山岳路線が、信越本線です。
こちらも、横川駅〜軽井沢駅間に碓氷峠の峠越えが立ちはだかりましたが、2本のレールの中央に歯型のレール(歯軌条=ラックレール)を敷設し、車両の床下に設置された歯車を噛み合わせて登るというラック式鉄道(アプト式)を採用、1000m進むと66.7m上がるという66.7‰(パーミル)の勾配を克服しました。
当初は、まだ東海道本線が東西を結ぶメインルートと決まる前で、高崎駅〜軽井沢駅(中山道の区間)は東京と大阪とを結ぶ「中山道幹線」の一部として建設され、軽井沢駅〜直江津駅はその資材運搬のために建設されたという歴史があります。
日本海沿いの直江津駅〜新潟駅は私鉄の北越鉄道(明治40年国有化)が敷設しています。
そのため、建設も早く、明治26年4月1日、横川駅〜軽井沢駅間が延伸開業して全通しています。
東海道本線の全通(ただし御殿場回りで、丹那トンネルはまだ未開通です)は明治22年7月1日だったので、わずか4年遅れで、山岳ルートを克服したことになります。
高崎駅〜新潟駅間を信越線と命名されたのは、明治42年10月12日。
高崎(上州)と新潟(越後)を結ぶ線なので、上越線でもよかったはずですが、上越国境を貫く鉄道計画があったため、そちらに上越線の名を譲っています。
上越国境を貫く清水トンネル開通は、昭和6年9月1日で、それ以前は、東京〜新潟はこの長野回り・信越本線経由でした。
当初は、東京と大阪を結ぶ鉄道として着手され、のちに新潟を結んだ大動脈の信越本線に大きな転機が訪れたのは、北陸新幹線(長野新幹線)の開業。
平成9年10月1日、北陸新幹線高崎駅〜 長野駅(長野新幹線)が開業し、並走する信越本線は横川駅〜軽井沢駅の山越え区間が廃止、軽井沢駅〜篠ノ井駅が3セクのしなの鉄道に移管されました。
さらに平成27年3月14日、北陸新幹線長野駅〜金沢駅の延伸開業で、並走する信越本線は、長野駅〜妙高高原駅がしなの鉄道・北しなの線に移管され、新潟県側の妙高高原駅〜直江津駅は、3セクのえちごトキめき鉄道に移管され、妙高はねうまラインとなったのです。
こうした経緯で、現在の信越本線は、高崎駅〜横川駅(群馬県)、篠ノ井駅〜長野駅(長野県)、直江津駅〜新潟駅(新潟県)と3区間に分断、横川駅〜軽井沢駅は廃止、残りは3セクに移管ということになっています。
北陸新幹線に乗車する機会があったなら、このブツ切れを車窓からぜひ確認を。
信越本線特急「あさま」に乗車したことがある人なら、横川駅での電気機関車によるプッシュ、ホームでの峠の釜めし販売が懐かしい思い出になっていることでしょう。
今では超難問! 信越本線はどこから、どこまで!? | |
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