新幹線には寝台列車がありません。保線ができないためともいわれていますが、『東京2020オリンピック』開催時に、仙台駅0:45発、東京駅4:20着という「臨時の夜行列車」も運転されているので、運転できないというわけではなさそうです。実は1973年に誕生の961形試作車の4号車は寝台車と個室が備わっていました。
夜行運転を想定して試作車両も製造
国鉄時代の1973年に誕生した新幹線961形電車は、6両編成で、1号車、2号車、6号車は通常の車両でしたが、3号車が食堂車、4号車が長距離列車での運用を想定した寝台車、そして1室6名定員の特別個室を配置していました(5号車は内装なし)。
寝台は、後の「北斗星」ツインデラックスに似た特別個室1室、特別寝台3室、普通寝台といった3グレードが用意され、まさに実践的な内容となっていたので、当時の国鉄がかなり本気で「夜行新幹線の運行」に取り組んでいたことがわかります。
しかもこの試作車、東海道・山陽新幹線(商用電源周波数は60Hz)と東北新幹線(50Hz)の両方に対応して走行、ひょっとすると仙台発名古屋行きなどを想定したのかもしれません。
新幹線は基本的に、深夜は線路のメンテナンス時間で、深夜〜早朝の走行は風切音など騒音などの課題もあって、実現していません。
実際に『東京2020オリンピック』時に走った夜行新幹線も、大宮~盛岡間が最高時速160km/h(通常320km/h)、東京~大宮間が70km/h(通常130km/h)で、あえて寝台車のない新幹線にする必要があるのかといった気もします。
それでも試作車が生まれたのは、1970年5月に全国新幹線鉄道整備法が公布、1971年10月12日の東北新幹線(東京〜盛岡)と上越新幹線(大宮〜新潟)の工事申請、さらに1975年3月10日の山陽新幹線博多延伸を見越し、今後の新幹線網の充実とともに、「夜行列車を走らせよう」と考えたからです。
当時の国鉄は九州と大阪・東京を結ぶ寝台特急、東京と東北を結ぶ寝台特急がが全盛の時代だったのです。
新大阪~岡山間は夜行運転を踏まえて設計されている!
夜間の線路メンテナンスに関しては、山陽新幹線は新大阪~岡山間を片側通行(単線の運転)で、残りの線路をメンテナンス(連続した6時間の保守作業時間の確保)すればいいと考えていました。
山陽新幹線の姫路駅〜相生駅間は、「夜行新幹線」の運行を想定して、余分に線路を通すスペースを開けて敷設されているのですから、その点でも本気度が伝わってきます。
新大阪~岡山間には5駅が配置され、平均駅間距離は東海道新幹線の43kmより短い32km、実は夜間に上下列車が行き違うことを想定した駅配置、信号設備にもなっているのです。
しかも山陽新幹線は、大赤字の国鉄にとっては「再建の切り札」。
ドル箱となりそうな「夜行新幹線」を運転しようと考えたのです(当時、山陽本線には多数の夜行列車が運転され、貨物列車運転のネックにもなっていました)。
国鉄がかなり本気で考えていた「夜行新幹線」。
当時、新幹線は騒音問題が各地で起こり、環境省は1975年7月に「新幹線鉄道騒音に係る環境基準について」を告示、住居の用に供される地域70dB以下、商工業の用に供される地域などでは75dB以下と定められ、現在の技術をもってしても、その環境基準をなんとかクリアする感じになっています。
つまりは、夜間に高速走行すれば、騒音問題を起こしかねないという危惧があることから、「夜行新幹線」計画はお蔵入りに。
そして飛行機利用が一般化した現代では、夜行新幹線の意義も失われており、実現する可能性は、ゼロといっても過言ではありません。
高度経済成長時代に生まれた、夢物語だったのかもしれません。
新幹線の夜行はなぜない!? 実は計画されていた「新幹線の寝台車」 | |
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