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2階建て新幹線はなぜ消えた!?

かつては東海道本線にも走っていた2階建て(ダブルデッカー)の新幹線。上越新幹線のE4系「Max」が2021年10月1日に定期運行を終了、10月16日・17日に、臨時列車「サンキューMax とき」が運転され、現在運用されている2階建て新幹線はありません。人気を博した2階建て、なぜ消えていったのでしょう?

初登場は東海道新幹線の100系で2階に食堂も!

100系2階建ての8号車2階部分にあった食堂(少し揺れました)

東海道新幹線に2階建てが登場したのは0系の次に登場した100系で、1985年10月1日のこと。
東海道新幹線の輸送人員は1973年の1億1783万人をピークに減少し、1982年には9091万人に落ち込んでいました。
そんななかでサービスの向上を目指して登場したのが100系で、話題性を高めるため、当時近鉄特急ビスタカーに採用されていた2階建て車両を投入しました。
16両編成の中央に2両連結された2階建て車両のうち、8号車の2階はカフェテリアもしくは食堂、1階に厨房・売店を配置し、1階の厨房ではビデオで食堂の風景を見ることができました(G編成のみ8号車の2階席はグリーン席とし、1階がカフェテリアに)。
9号車の1階部分にはグリーン個室(1〜4人用の4タイプ)が備えられ、快適さも向上しました。

東海道新幹線の100系2階建て車両ですが、2000年3月10日で食堂車の営業が終了(カフェテリアは2003年8月22日で終了)、2012年3月14日に営業運転を終了しています。

JR西日本も1989年〜1991年に100N系「グランドひかり」を製造、東京駅〜博多駅間の「ひかり」で運用されましたが、2012年3月16日に運用を終えています。

この2階建て車両の投入が話題になったこともあって、東海道新幹線の輸送力は大きく回復、1991年には1億3387万人となり、以降も1億2000万人以上を持続しています。

上越、東北新幹線にはオール2階建ての「Max」登場

1994年7月15日、上越新幹線、東北新幹線に登場したE1系「Max」は、新幹線通勤客の着席定員確保を目的にしたオール2階建て車両、1997年12月20日にはE4系「Max」も登場しています。
新幹線利用の通勤客、ビジネス利用の増加が背景にあり、東海道・山陽新幹線の100系とは少し異なる目的です。
MAXは、Multi Amenity Expressの略で、さまざまな面(マルチ)で快適さ(アメニティー)を追求した高速鉄道(エクスプレス)の意。

E1系12両編成の定員は1235人、E4系では8両編成2本を連結した状態で1634人が着席でき、1990年代の大量旅客輸送を解決した花形車両で、新幹線にない高い目線で話題を集めました。
ただし、E1系の自由席2階部分はリクライニングしない「両側3列シート」(3×3列)で、快適さ、優雅さというよりも、着席が目的の構造となっていました。

そんな通勤新幹線、最大の弱点は走行スピードと乗り降りの時間で、最高時速は240km/h。
高速化が進む新幹線網のなかで、速達性が劣ることはビジネス利用者も敬遠することになります。

結果として、2階建て新幹線が消えてしまったのは、車両重量が重く車体断面が大きいことから速達性が劣ること、トンネルの騒音問題、2階建てゆえの(構造上階段が必要)バリアフリー面などのデメリットを克服できなかった点が大きかったと推測できます。

北陸新幹線長野駅〜金沢駅間延伸開業に際し、JR東日本・JR西日本が共同開発、北陸、上越新幹線に導入されたE7系は、和をキーワードに、洗練、ゆとり・解放感をテーマにして、全席にコンセントを設置、グランクラスの導入と、サービス面の充実が図られました。

「24時間戦えますか」のキャッチコピーで一斉を風靡した牛若丸三郎太(時任三郎)の シングル『勇気のしるし〜リゲインのテーマ〜』は1989年11月22日発売(「24時間戦えますか?」は1988年の流行語)。
そんなジャパニーズ・ビジネスマンの時代に登場したMAXですが、バブルとバブル崩壊を経験したサラリーマンたちは徐々に退職、新幹線も「ゆとり」、「快適さ」が求められる時代になり、速達性(航空機との競争)と快適性の両立が求められる時代に、2階建て新幹線は時代遅れの存在となってしまいました。

2階建て新幹線はなぜ消えた!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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