毎年2月下旬〜3月上旬に静岡県静岡市葵区の「青葉シンボルロード」で、60店舗以上の静岡県内のおでんや全国のご当地おでんが集結する『静岡おでん祭』が開催されています。静岡県内のホテル、旅館に宿泊するとブッフェや朝食に登場するのが、静岡おでん。その歴史をたどると意外な素顔が見えてきます。
静岡おでんの創始は、意外に新しく大正時代

おでんを串に刺すという文化が残る静岡県。
おでんは室町時代に拍子木型(ひょうしぎがた=火の用心に使われる拍子木のようなかたち)に切った豆腐を串に刺し、味噌を塗って焼いた「味噌田楽」がルーツ。
五穀豊穣を祈る田植えの儀式での「田楽舞」(でんがくまい)の舞い手である「田楽法師」が一本足の竹馬(一本棒)に乗って白い袴姿で舞う姿が、串に刺した豆腐に似ていることで、田楽の名が生まれました。
そして朝廷や貴族に仕える女房(にょぼう=女官)たちが使った女房言葉(にょうぼうことば)で、おかず、おかかなどとともに、丁寧に「お」の付いた「お田楽」、そして「おでん」と転訛したのだと推測されています。
今では一大ブームの静岡おでんの創始は、意外に新しく大正時代。
焼津で黒はんぺんが商業的に生産されるようになったのが大正8年の「カネ久商店」なので(鰹節製造業者が本業のかたわら黒はんぺんを製造)、黒はんぺんなど、練り物の産業化と深い関係にあるのかもしれません。
当初は駄菓子屋で売られたのが静岡おでんの特徴で、戦後の食糧難で廃棄処分されていた牛すじ、豚モツを煮込んだところ、さらに旨味が出て人気を博したのです。
静岡は日本を代表する深海の駿河湾があり、そこで産する魚を黒はんぺんなどの練り物にする水産加工業が盛んでした。
黒はんぺんに、なるとなどの地場練り物産業と、廃棄処分されていた牛すじ、豚モツの組み合わせで、静岡おでんが成長。
戦後、静岡市役所前の「青葉シンボルロード」には、200台ものおでん屋台が軒を並べ、家庭でも作られるようになったのです。
都市開発などで屋台は姿を消しましたが、「青葉おでん街」、「青葉横丁」(ともに静岡市葵区)などにおでんの店が集結しています。
そんな静岡おでんは、訪日外国人観光客にも注目のご当地フード。
静岡県でロケが行なわれた韓国の人気ドラマ『交渉の技術』(イ・ジェフン主演)でも「海ぼうず 本店」(静岡市駿河区)で静岡おでんを美味しそうに味わうシーンが登場します。
今後もワールドワイドに発展する可能性を秘めているということがよくわかります。
静岡おでんが串に刺すというのは、駄菓子屋や屋台で、食べやすかったからですが、おでんのルーツが串に刺した豆腐「田楽」だったことを考えると、「食べやすさの原点復帰」といえるのかもしれません。

| 静岡おでんとは!? まずは詳細な歴史を紹介 | |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |











