島根県津和野町、津和野川東岸に位置する、森鴎外(林太郎)の旧宅。森鴎外は文久2年1月19日(1862年2月17日)、石見国鹿足郡津和野町田村(現・島根県津和野町町田)で、代々藩医だった森家の長男として誕生。明治5年に11歳で上京するまでの11年間をこの家で過ごしています。その後津和野を訪れることはありませんでした。
森鴎外が幼少時に使った勉強部屋が残る
明治42年に、鴎外が発表した『ヰタ・セクスアリス』には、この生家の様子を描写。
木造平屋の邸内では、幼少時に鴎外が使った4畳半の勉強部屋や藩医の家らしく薬の調剤室などが残されています。
庭園には森鴎外の遺著『うた日記』の一節を刻んだ詩碑も立っています。
森鴎外は文学者として有名ですが、実は東京帝國大学で近代西洋医学を学んだ陸軍軍医。
医学先進国のドイツに4年間留学し、軍医総監(中将相当)、陸軍省医務局長にまで昇進しています。
日露戦争(明治37年)では、海軍が麦飯を導入してビタミン不足による脚気問題を解消していたのに対し、森鴎外は海軍の兵食改良を否定し(当時、脚気の原因がビタミン不足ではなく、伝染病だと考えられていました)、つ戦時兵食「白米6合」を遵守。
ついに陸軍では25万人の脚気患者が発生し、2万7000人が死亡する事態を生み出してもいるのです。
『阿部一族』、『高瀬舟』などは、晩年の大正時代の作品。
遺言に記された「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という一説から、故郷を思う気持ちが伝わってきます。
大正11年7月9日病没。
隣接して「森鴎外記念館」が建ち、森鴎外の遺品、貴重な資料などが展示されています。
森鴎外旧宅 | |
名称 | 森鴎外旧宅/もりおうがいきゅうたく |
所在地 | 島根県鹿足郡津和野町町田イ230 |
関連HP | 津和野町公式ホームページ |
電車・バスで | JR津和野駅から徒歩25分。またはJR津和野駅から石見交通バス津和野温泉行きで6分、鴎外旧居前下車、徒歩3分 |
ドライブで | 中国自動車道六日市ICから約35km |
駐車場 | 森鴎外記念館駐車場(35台/無料) |
問い合わせ | 森鴎外記念館 TEL:0856-72-3210 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
取材協力/島根県・森鴎外記念館
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