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宮ヶ島・衣毘須神社

宮ヶ島・衣毘須神社

島根県益田市小浜町、小浜海岸にある陸繋島の宮ヶ島に鎮座するのが衣毘須神社(えびすじんじゃ)。日本画家・東山魁夷(ひがしやまかいい)が皇居の障壁画『朝明けの潮』のモチーフにした場所で、大潮や時化の際には参道が消えるというその雰囲気から「山陰のモンサンミシェル」とも呼ばれています。

東山魁夷『朝明けの潮』のモチーフになった引き潮の海岸美

地形的には陸繋島で、通常の満潮時なら歩いて渡ることができますが、大潮や波が荒い際には、島に渡ることができません。
モン・サン=ミシェルは、本来は干潮時しか渡ることができないトンボロ現象の島なので、宮ヶ島の場合はさらに砂の堆積が進み、陸繋島化しています。

東山魁夷は、昭和35年、新築中の東宮御所、長和殿南溜波の間(賓客などが車で皇居に到着すると、最初に入る場所)に飾る壁画の依頼を受け(東宮御所の設計は東山魁夷と美術学校の同期である吉村順三)、日本各地の海岸を写生し、
「日本海に沿っての旅もいよいよ西の果てに近づく。益田から西へ少し行くと山口県との県境に戸田小浜がある。このあたりの海岸を以前にも写生し、制作したことがある。荒磯に打つ波の泡の美しさを崖の上から飽かず眺めて『朝明けの潮』の波の表現のヒントを得たのも此処である。寄せる波、引く波の状態が今度の壁画にも参考になる」(東山魁夷『唐招提寺への道』)
と、昭和43年、この海岸風景をモチーフに障壁画『朝明けの潮』(あさあけのうしお)を描いています(注/『朝明けの潮』は、山口県の青海島の瀬叢・せむらがモチーフともいわれています)。
題名の『朝明けの潮』は『万葉集』「時つ風吹かまく知らず阿胡の海の朝明(あさけ)の潮に玉藻刈りてな」(巻7-1157、読み人知らず)から採ったもの。

衣毘須神社は、宝永6年(1710年)、美保神社の分霊を勧請して海龍山に創建した社で、主祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)。
当時、小浜村は非常に貧しく、離村して平戸に移住するものもいたほどだったとか。
宝永6年(1710年)、日の出網と名付けた鰯網の漁法を使って漁業に活路を見出し、その年に漁業の守護神として出雲国・美保神社から事代主命を勧請したのです。

現社地には慶応3年(1867年)に遷座。
例大祭は7月第3日曜に執り行なわれています。

モン・サン=ミシェル風に写真を撮れば、こんな感じに
宮ヶ島・衣毘須神社
名称 宮ヶ島・衣毘須神社/みやがしま・えびすじんじゃ
所在地 島根県益田市小浜町630
関連HP 益田市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR戸田小浜駅から徒歩15分
ドライブで 中国自動車道六日市ICから約60km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 益田市観光協会 TEL:0856-22-7120 FAX:0856-23-1232
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日本のモンサンミシェル 7選

モン・サン=ミシェルは、フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ修道院のある小島。トンボロ現象で形成される砂州で、干潮時にのみ渡れる島にあるカトリックの巡礼地で、世界文化遺産に登録。日本でもトンボロ現象で繋がる島に神社が鎮座する、日本のモンサ

 

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