宮崎駿監督の長編アニメ映画『千と千尋の神隠し』(平成13年7月20日公開)で、主人公の荻野千尋(10歳の少女)が働くことになった湯屋「油屋」のモチーフとなったのは、東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」に移築保存された「子宝湯」で、スタジオジブリも公式に認めています。
油屋のモチーフは、実は震災復興で流行の「東京型銭湯」!
興行収入316億8000万円と、当時『タイタニック』を抜いて、日本歴代興行収入第1位となった話題作のため(現在は令和2年10月16日公開、劇場版『鬼滅の刃』無限列車編が、コロナ禍ながら404億3000万円を達成し1位、『千と千尋の神隠し』は2位)、当然、湯屋「油屋」のモデルとなったのはどこなのか? とモデル探しが行なわれました。
岡山県真庭市の湯原温泉にある「元禄旅籠 油屋」の「食湯館」(食堂と大浴場があります)は、明治時代に建てられた木造3階建てレトロな建物で、『千と千尋の神隠し』のモデルでは?といわれています。
また、群馬・四万温泉の「積善館本館」の建物(本館)は、元禄4年(1691年)築で、現存する日本最古の木造湯宿建築。
しかも目の前には、『千と千尋の神隠し』の湯屋「油屋」にも登場の赤い欄干の吊り橋が架かっていて、「イメージモデルになった」と噂されています。
他にも山形県の銀山温泉など、「モデルとなった」と噂され、ブログなどでまことしやかに喧伝(けんでん)される場所は数ありますが、実際はいずこもジブリ側からの裏付けはありません。
宮崎駿監督も「特定のモデルはない」としているので、様々な温泉宿をモチーフに考えたといえるのでしょう。
ただし、公式に『ジブリ日誌』(2003年1月9日)に、「映画の設定である『商店街の一角にそびえ立つ銭湯』について、大いにインスピレーションを与えたのは、『江戸東京たてもの園』の『子宝湯』です。ただし、子宝湯の建物自体は「油屋」のように巨大なものではなく、建物のイメージは幾分異なります。」と記しているのが、 江戸東京たてもの園に移築保存の子宝湯。
美しい唐破風、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の折上格天井(おりあげごうてんじょう)など、宮大工の技を伝える設えが各所に残されています。
関東大震災からの復興を目指した昭和4年10月築ですが、当時の銭湯は「町の社交場」。
子宝湯も主人の出身地石川県から職人を呼び寄せ、通常の2倍という4万円をかけ、贅を尽くしたの建物となっているのです。
この子宝湯が宮崎駿監督に「大いにインスピレーションを与えた」ということは、関東大震災の後に東京で流行した「東京型銭湯」建築が、湯屋「油屋」の土台にはあるということに。
つまり、温泉街に残される江戸時代からの木造3階建ての旅館ではなく、関東大震災からの東京の復興を目指し、宮大工が技を競った「東京型銭湯」建築こそが、映画『千と千尋の神隠し』の油屋のモチーフなのです。
休日には、近場にある美しい唐破風の銭湯に、湯屋「油屋」気分で出かけるのもいいかもしれません。
東京23区内には、松の湯(品川区)、小杉湯(杉並区)、たつの湯(練馬区)、明神湯(大田区)、松の湯(品川区)、竹の湯(江戸川区)、梅の湯(足立区)、帝国湯(荒川区)、曙湯(台東区)など唐破風が美しい「東京型銭湯」が数多く営業しています。
美しい唐破風で「キングオブ銭湯」と呼ばれた足立区千住寿町の大黒湯は、残念ながら令和3年に廃業し、安養院に移築保存されていますので、今が「東京型銭湯」で銭湯文化を体験するラストチャンスといえるのかもしれません。
映画『千と千尋の神隠し』の油屋のモチーフは、 江戸東京たてもの園に! | |
名称 | 江戸東京たてもの園・子宝湯/えどとうきょうたてものえん・こだからゆ |
所在地 | 東京都小金井市桜町3-7-1 都立小金井公園内 |
関連HP | 江戸東京たてもの園公式ホームページ |
電車・バスで | JR武蔵小金井駅から西武バス、小金井公園西口下車。または、関東バス三鷹駅行きで江戸東京たてもの園前、小金井公園前、スポーツセンター入口、下車 |
ドライブで | 中央自動車道調布ICから約8km |
駐車場 | 小金井公園第1駐車場(454台/有料)・第2駐車場(114台/有料) |
問い合わせ | 江戸東京たてもの園 TEL:042-388-3300 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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