毎年8月3日、山口県萩市で住吉神社神幸祭が行なわれ『お船謡』(おふなうた)が唄われます。もともとは毛利藩・毛利家の御座船唄(御船歌・お船謡)ですが、万治2年(1659年)、住吉神社勧請の際に、神幸祭に藩庁から、藩主の御座船を模した山車「お船」が寄進され、その船上で「お船謡」を演唱するようになったもの。
明治以降、口伝で伝承された貴重な「お船謡」
天文24年10月1日(1555年10月16日)、毛利元就(もうりもとなり)は、安芸(現・広島県)の宮島で、陶晴賢(すえはるかた)を攻め滅ぼしましたが(厳島の戦い)、その際に戦勝の凱歌として萩に伝えられたもの。
毛利藩の御座船唄(御船歌・お船謡)として、参勤交代の際に藩主が乗船するとき、新造船が進水するとき、また年頭に御船倉で代官が乗り初めの行事を催すときに演唱されました。
藩政時代に、住吉神社が鎮座する浜崎には、藩主の御座船を格納した御船倉があり、御船手組も居住していました。
住吉神社の神幸祭では、神輿渡御、そして「お船」と称する御座船を模した船型山車や踊り車が城下町を巡行します。
この「お船」上で歌われるのが「お船謡」です。
歌い手は白麻裃姿で乗船し、法螺貝(ほらがい)の合図で出発し、城下の要所に留まって「お船謡」を披露します。
藩政時代には一般人の「お船謡」の演唱は禁じられていたこともあり、明治時代以降、御座船唄(御船歌・お船謡)は完全に途絶し、紀州東照宮例祭『和歌祭』と住吉神社の例祭、赤穂市坂越の大避神社の『船祭り』など現存するのはわずかになっています。
住吉神社『お船謡』歌詞
- めーでたーノまたのエンヨーホホンホンホンホホわーか
えーだウハウハウハモーヨエーンエンコノコノコノエーさかハハゆーるノーンヨーウンホウホウホホーホホーホーハハーハモオオオーオーシしゅげーる - イヤー我が住家はたんたん丹波の山の谷合谷底のーサテー芝はハノーヤレいーおりーの又のエンヨホホンホンホホンホホなーつ
みーやウハウハウハモーエヨエーエンコノコノコノエーエなれエエーとーもーノーンヨンウホウホウホホーホホホーたーびーヒヒはーわるい - イヤー滋賀の辛崎なーるひとつの松はカラコロだんがいスジリリモジリよんござーるアマつん鶴金鶴チリタラリンすじりりたらはんもじりりたらおんチリツルテレテン聞けーひとほほリーヤレ女郎や女郎女郎順礼がノーエンヨホホンホンホンホホあーし
ワーシイヒイヒイヒもーエニエーエンコノコノコノエーエやーらハハハーいでノーンヨンウホウホウホホーホホホーつーれーエエエエエをオーまーつ - イヤー皆もご存じご座りましょがナー裏のオー書院の小松のオ枝にーもずがとまーりてあすウーの夜あアけにわなーキリンヤキリンヤエーキリンキリキリとものーサテーなくーヨーとりエーなーくまりか又のエンヨホホンホンホンホホとーりー
なーくウハウウハモーエーヨエーエンコノコノコノエーエみやーハハまアーのーノーンヨーホホウホウホウホホーホホホーホホトーホホホーホオオとぎーす - めーでーたーいイーヤーーアアーわーかー
えーだーはハーもーやーよいー
住吉神社神幸祭『お船謡』|萩市 | |
開催日時 | 毎年8月3日 |
所在地 | 山口県萩市浜崎町240 |
場所 | 住吉神社 |
関連HP | 萩市観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 中国自動車道山口ICから約57km |
問い合わせ | 萩市観光協会 TEL:0838-25-1750/FAX:0838-25-2073 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag