佐賀県有田町にある有田焼の原料となる陶石の採掘場が泉山磁石場(いずみやまじせきば)。元和2年(1616年)、李参平(りさんぺい/邦名・金ケ江三兵衛)が率いる朝鮮からの陶工集団が泉山で陶石を発見し、日本初の磁器焼成に成功。その後、有田焼の名を有名にしたのは、泉山で産する上質な陶石によるところが大なのです。国の史跡。
日本磁器発祥の地となる陶土採石場
豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役/壬辰・丁酉倭乱)の際、多くの陶工と職人が日本へと連行されています。
龍造寺家臣団を率いて参戦した鍋島直茂(なべしまなおしげ)が日本に連れて来たのが李参平で、『金ヶ江家文書』によれば、当初は鍋島藩の老中、多久家に預けられます。
その後、磁器を焼くための土を探し、鍋島藩内を探索し、泉山で白磁鉱(磁器の陶土に必要なケイ酸を多く含む変質流紋岩火砕岩)を発見、近くの上白川に天狗谷窯を開き日本初の白磁を焼いたとされています。
江戸時代には、登り窯で本焼きまでの一連の過程を担う皿山代官所認定の「窯焼」のみ、貴重な陶石を購入することができ、その制度で、陶石の藩外への流出を防いでいました。
こうして李参平が日本に伝えた白磁は、鍋島藩を支える産業(有田焼)へと発展し、東インド会社を通して輸出されるまでに成長するのです。
中国の政変の影響で景徳鎮の磁器を売買できなくなった貿易商たちは日本に目を向け、慶安3年(1650年)〜宝暦7年(1757年)の間に公式の記録に残るものだけで123万個の有田焼(肥前磁器)が輸出されています。
その原点が泉山磁石場ということに。
現在、採掘はほとんど行なわれていません。
ざっくりとえぐり採られた山肌から優美な陶磁器を連想することは難しいですが、この陶石で作られた作品が遠くヨーロッパの王侯貴族をも魅了したことを考えると感慨深いものがあります。
泉山磁石場の採掘地は柵で囲まれ、柵の中には入ることができません。
有田町歴史民俗資料館近くの磁石場を見渡せる場所には「李参平発見之磁鉱地」と記した石碑が立っています。
ちなみに伊万里焼は、肥前国で焼かれた磁器(有田焼、三川内焼、波佐見焼、鍋島焼)の総称。
伊万里の湊から搬出されたので伊万里焼と総称されています。
東インド会社がヨーロッパへと輸出した「伊万里焼」も当然、有田焼で、柿右衛門様式を生み出した酒井田柿右衛門が焼いた「古伊万里」(初期伊万里)も有田焼です。
ドイツの名窯で世界的に有名なマイセン(Meißen=西洋白磁の頂点)は、この西洋社会では憧れの芸術品・有田焼を見たザクセン公国アウグストの命で開かれた窯元といわれています。
泉山磁石場 | |
名称 | 泉山磁石場/いずみやまじせきじょう |
所在地 | 佐賀県西松浦郡有田町泉山1-33 |
関連HP | 有田観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR上有田駅から徒歩10分 |
ドライブで | 西九州自動車道波佐見有田ICから約5km |
駐車場 | 8台/無料 |
問い合わせ | 有田観光協会 TEL:0955-43-2121/FAX:0955-43-2100 |
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