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神集島

神集島

佐賀県唐津市湊の沖合800mに浮かぶ神集島(かしわじま)。古くは狛嶋(こましま)、柏島(嶋)とも呼ばれていましたが、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮出兵の折に当地で航海安全と戦勝を祈願、その際に神々が集ったとの神話から、後に神集島と呼ばれるようになったもの。唐津市の湊港から唐津汽船の定期船が就航。

古代から中世に、大陸との交流もあった島

神功皇后が戦勝祈願を行なったと伝わる場所が、島の北西部に延びる砂嘴(さし)で、先端には海の神・住吉神社が鎮座しています。
住吉神社の境内には元寇の際、モンゴル軍が海に沈めたという「蒙古碇石」も残されており、周辺はハマユウ群生地(ここが北限とも)にもなっています。

天平8年(736年)には、日本が新羅にに派遣した遣新羅使(けんしらぎし/遣新羅大使は阿倍継麻呂)の一行が停泊地として当地に寄港、その際詠まれた7首が『万葉集』にも残されており、島には歌碑も点在。
この歌碑を巡る散策路も設けられています。

また10世紀には大唐呉越船(呉越は五代十国時代の十国の一つ、中国・江南地方にあった国/907年 〜978年)が、11世紀には宋人が島に来着したという記録も残され、その立地を活かし、国際交流の中継点としての役割を果たしてきたことがわかります。
平安時代末期に編纂された歴史書『本朝世紀』天慶8年(945)七月二十六日条に「大唐呉越船」が 「肥前国松浦郡柏島」に来着したという記事があり、これが神集島に寄港した大唐呉越船の記録です。

さらに島の対岸にあたる場所には、唐津市唐房という地名が残されていることから、当時、日宋貿易に関わった宋人の居住する区域(いわゆるチャイナタウン)があったとも目されているのです。

島へのアクセスは、湊港から唐津汽船による定期船「からつ丸」で、所要約10分。

『万葉集』収録の遣新羅使の歌

とやの原の万葉歌碑「旅なれば 思ひ絶えても・・・」

『万葉集』巻15に収録される神集島で詠まれた遣新羅使の歌は7首あります。
肥前国(佐賀県)に関するものは38首ありますが、松浦佐用比売の歌5首など古代に海外への玄関口となっていた松浦地方が30首を占めています。

神集島
名称 神集島/かしわじま
所在地 佐賀県唐津市神集島
関連HP 唐津市公式ホームページ
電車・バスで 湊港から唐津汽船で10分
ドライブで 西九州自動車道(福岡前原道路)前原東ICから約38kmで湊港
駐車場 神集島定期戦待合所前駐車場(湊港)
問い合わせ 唐津汽船 TEL:0955-79-1365
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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